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本を読んで会いたかった人に会いに行った。連載の執筆を頼みに行ったのだが、向こうが書きたいことと、こちらが書いてほしいことがかみ合わず、向こうが乗らなくなってしまって、結局今回は見送ることになった。。。。なんか、かなり、がっくりした。
私がその人をわくわくさせきれなかったってことだし、結局、こっちの求めるものをその人も持っていなかったってことなんだけど、やっぱり、あくまで私の力不足、という要素は大きい。イメージがわかない、という彼を説得できなかったし、説得する以前の問題として、一緒に何かを作ろうという会話ができなかった。。。。。あーあ。失恋気分だわ。久しぶりだわ。 で、改めて学んだのは、出会いはプレゼントってことだ。もらうだけでなくて、あげなくてはいけない。今日は何もあげられなかったなあ。そういう気持ちが足りなかったなあ。そういうゆるい自分に深くがっかりし、でもそこから学ぶだけ学んであとはすっきり水に流したい。って、たくさん、流しすぎという説が。いえ、失敗こそ贈り物なのだからなのだわ! でもさすがにいま売れている本を書いた人だけあって、 その人は、全体が勢いであふれていた。 そういう波に乗っている人に共通している特徴は、 いい意味でものすごく「自分中心」なこと。 自分の判断、自分のセンスや感覚、自分の言葉を中心にものごとを進めていって、そこに合わないものにははっきりすっきりさっぱりと冷たく、だからこそある部分はすごく熱い。 だから、見ているだけではじめからああごめんなさーい、っていうか、いろんな場面で常にあいまいな自分のままではいてはいけないような(ま、それはそれで確かに問題だが)、心もとない気持ちになる。 でもって、そういう人同士は、すごく話が早くて、 ことが進むスピードも速い。 何か魔法が起こるように。 今日会った人にも、「話をしていて何かが起これば、面白くなるんですよね。でも今は何も起きないなあ」なぁあああーんて言われちゃったし。 なかなか、そういうパキパキした人になれません。そういう風に、人に言うってこと自体がびっくりだった。それはその通りなんだけど、なんかすごいことではないかしら。そう言える自信、そして明確さ。 パキパキになれないどうしの、ゆるーい通じ合ってる実感およびヨロコビ、というのも確かに存在する。いままではそれだけでいいやと思っていたんだけど、なんか、今日のできごとで、自分はいいかげんちゃんとしなくちゃいけないんじゃないか、と思った。でも、ちゃんとって、いまさら、なにを。。。。。なにから。。。。。(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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