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*[浦島タロ子記・2004年夏]
アポをとらせていただいた某独立行政法人の広報担当者の方にお目にかかり、お話しを伺う。驚かされたことも、驚かれたこともあったが、いろんな意味で貴重なお話を伺うことができた。 昔、今以上にワケがわかっていなかった頃、いろんな訪欧や訪米ミッションなども主催される某組織の方とお話していて、『このIT時代に、忙しい人たちがわざわざ(よその国まで)出かけていって直接会うことには意味があるんでしょうか?』と聞いて、若気の至り、思慮のなさをさらけだしたことがあった。 その時のお答えは、『Pupaさん。人は、顔も見たことない相手に情報を渡そうとは思わないし、ビジネスもしないんですよ。会ったことがある、面と向かって話したことがある、というのは、話が大きくなればなるほど非常に大切なことなのです。』だった。当時はそうかぁ、とただただ感心して聞いていたものだが、自分が日本から海を隔てたところに来てみて今、その事を痛感する。電話やメールの問い合わせでは絶対に出てこない話が、面談では出てくる。アメリカから問い合わせている時には聞けなかった話も、日本に戻り、実際にお目にかかって話しをしていると、つっこんだところまで話しが聞けたりするのだ。人のコミュニケーションは不思議なものだ、と思ってみたりする。 昼には部屋に戻り、部屋を片付け、大阪へ帰る荷造りをする。今日から3泊4日で大阪―島根―鳥取―大阪、と墓参りと温泉の旅なのだ。夕方遅くには家に着き、家の台所で夕ご飯を作るのを楽しみにしていた・・・のに!、今日配信の「出たきり邦人」の原稿を書き終え、さぁ部屋を出る前に一杯、とコーヒーを飲み始めたところに電話がかかってきた。某省庁の某部署の担当者からである。私の情報開示申請は、なんと3部署にも渡って提出されていったのだが、19日以降は連絡先がアメリカになると特記しておいたので、運悪くご担当になった方も、それまでに問い合わせなどはしておこう、というところなのだろう。 ま、それはこちらも望むところだ、なのだが、この電話をかけてきたご担当の方が、また何ともはや、新人さんらしく、どうも背後でリモートコントロールされているようで、気の毒なほど話しが進みにくい。かつては自分も通った道だから、笑う気にはならないが、それにしても今はもう8月も中旬である。5月や6月なら、まだ電話でうまく日本語、敬語が操れなくても仕方がないが、入省4ヵ月も経っているはずのこの時期に、アラアラ大変、という感じ。でも一生懸命対応してくださっているので、こちらも一生懸命、何度もかけなおされてくる電話に対応し続ける。 で、品川駅から新幹線に乗れたのは19時だった。あ~ぁ。ふてくされて、新幹線のなかで、缶ビールを一本飲む。一緒にワゴン車に積んで売られていたパックの竹輪があまりにおいしそうなので、それも貰って食べた。うまいー。それにしてもこの図は、なんともオヤジな様子かも。 この時間の新幹線はがら空き。夕方まで働いて、週末だけ盆休み、という感じのサラリーマンやサラリーウーマン達がチラホラ、軽いボストンバッグとお土産の袋を持って乗り込んでいるだけである。そんなこんなで家にたどりついたら22時になっていた。 先日のキャンプ引率の記念に、と、保育園の主任保母のO先生が、キャンプの折の写真を張り合わせて、A4サイズの素晴らしいカードを贈ってくださり、母が持って帰ってきてくれていた。いわゆる飛び出す絵本式のしかけが作ってあって、表紙は布張りにされたカードを開くと、切り抜かれた写真や文字が飛び出してくるようになっている。その心遣いと素晴らしい技術に感激。忘れないようにと、アメリカへ持って帰る荷物の山にしまう。本物の保母さんって、すごい技術者なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
August 27, 2004 10:38:29 AM
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