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August 14, 2004
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*[浦島タロ子記・2004年夏] 

留守番してくれる弟を残して、母と二人、朝早くに家を出発した。3年前、日本を出発する直前に法事に出た時以来の島根行である。あの頃はまだどうにか法事に出席できていた祖母は、もう他界していない。ミシガンで知らせを聞き、眠れず、明け方に相方を起こして、おばあちゃんの話しを聞いてもらったりしたものだ。お葬式にはもちろん間に合わないから帰国もせず、弔電だけを打った。散々世話になっておきながら薄情な孫である。

無沙汰をいい訳するわけではないが、空の上からは、アメリカも良く見えるだろうと思ったりもする。80歳手前になって、何影響か、英会話の参考書なんぞを買っていた元気なおばあちゃんであった。

『わからんててナ、ダラずと一緒だて』
(言ってることがわからない、ということは(自分が)バカであるのと同じことだ)

と、英語を話すガイジンさんについてよく言っていたが、アメリカに来て英語に四苦八苦するたびに、この名セリフを苦笑と共に思い出す。アメリカで悪戦苦闘している三十路の孫を見ながら、また心配したり呆れたり、笑い転げたり顔をしかめたりしていることだろうと思う。

何はともあれ、今回が初めての墓参りになる。

途中、お約束の宝塚トンネルで多少の渋滞、そして米子自動車道でも渋滞があったが、あとは順調なドライブ。12時30分には松江に到着した。

まずは、伯父伯母を訪ねる。幼少の頃から散々お世話になっている伯父伯母に会うのも、もちろん3年ぶり。高校時代は松江で過ごしたのだが、博識で働き者の伯父と、書道に造詣が深く多趣味で活動的な伯母の元で、言葉では言い尽くせぬほどお世話になったものである。グルメな伯父伯母のお陰で舌も随分驕ってしまい、アメ食暮らしが人一倍こたえたとも思う。

その舌の肥えた二人が、再会の昼食にと心積もりしてくれていたのが、松江駅前の『博多』。





伯父と、アメリカの話しなどをしつつ、商社のバイヤーとして途上国で現地の人に混じってがんばる母の従姉妹の近況や、今や某競技の日の丸学生部隊を率いる従兄弟のトルコでの仕事の話などを聞きつつ、その傍ら文字通りきゃぁきゃぁ、歓声をあげながら、うにご飯やら、てんぷらやら、そして伯父が注文してくれた岩牡蠣をふたつも平らげた。こんな贅沢をしていいのか、いったい。

茶飲み話に華をさかせつつ、昼過ぎに伯父伯母の家を辞して、母の実家、おばあちゃんの家であった郡部の集落へと向かう。叔父叔母夫妻と従姉妹のHくん、Mちゃんもそこで合流する予定である。

3年など、田舎のものさしでは、ほんの一瞬。何も変わらない祖母の家で叔父叔母家族に再会。荷物を片付け一休みした後は、お盆だけに、叔母と母と3人で、とにかく墓の掃除をしに行くことになる。日本海の水平線を見渡す、眺めのいい山肌にある墓は、おばあちゃんだけでなく私の知ってるご先祖さんも知らないご先祖さんも祭られている。叔母や母が花木を活けるのを手伝ったり、水をくんだりしている間はそうでもなかったが、いざ掃除がすんでお米を備えて、おばあちゃんのお墓に手を合わせたら、やっぱり涙が出て仕方がなかった。

この母方の血筋というのが、私の相方も畏れる女系長寿家系であり、100歳手前まで健在だった曾祖母同様、祖母も長生きの口であったから、本人も齢に不足があったとは思えない。私が大学生の頃は、東京の従姉妹の企画で、鎌倉や日光のばあちゃん旅行をし、私も八兵衛よろしく、お供して連れて行ってもらったものだが、あっちでもこっちでも神社仏閣をお参りしては、『お迎えがくるまでボケませんように』と拝んでいた、そんな祖母であった。

だから、涙が出るのは、可哀そうとか、寂しいとか、そういう感情ではないのだ、ということを感じる。ただ、泣けてくる。人の死とは、そういうものかもしれない、などと哲学じみてみたりもする。

さて、田舎の盆。親類が集まればもちろん夕食はご馳走である。しかも、今は奈良で大学生をしているという従姉妹のHくんのリクエストがかなえられ、食卓には松前蟹まで並べられた。刺身好きの叔父が刺身なし、のわけもなく、刺身に、その魚の荒だきに、と私にはなんとも言えないご馳走ずくめ。



つい先日中国旅行をしてきた叔父叔母の話しを興味深く聞きつつ、『Pupaちゃん、一番いいところを全部食べろ。そんなに痩せてちゃいかんよ』と言ってくれる叔父の声を聞きつつ、賑やかにご飯を食べていると、牧場を経営している親類のK兄ちゃん(って、もう40代も半ばのハズだけど。私が遊んでもらっていた小学生の頃は“兄ちゃん”だった)が現れた。直接の親類である叔母や母の顔を見るのもあるが、かつてこの近在の中学校で教諭をしていた叔父と話がしたいのが本音だろう。

K兄ちゃんの話題は、いろいろあったが、興味深かったのは、この村の寺の、跡取り和尚さんの話。村でひとつしかない寺のことだから、集落中が檀家であり、早世した和尚さんを継いで修行半ばにして村へ帰り家を継いだ若和尚さん、何かと大変なんだそうな。その若和尚さんと仲が良いK兄ちゃんはとても心配していて、若和尚さんの恩師である叔父に、いろいろと耳に入れておきたい、という図式である。

『和尚はみんなで育てる。本来はそういうもんでしょう。』
とK兄ちゃんは、集落の年寄り達(=実力者)が、未熟でも仕方がない若和尚の親身な相談相手として機能していないことを嘆いていた。私にはこの集落の図式は全然わからないから、全く違うことを考えながら聞いていた。

秋学期に履るクラスは、International Rural Developmentのクラスだ。日本のODAもそうだが、JICAなどが開発協力として入っている現場は、かなりな田舎が含まれている。“地方(Rural)”の理解は、国際開発の中で切っても切れない関係にある。開発と言っても、都市開発と地方開発はアプローチが別だ。

地方には、都市部にないコミュニティの政治がある。力関係もしきたりも文化もある。それを無視しては話しは決して進まない。アフガニスタンに入った日本のチームが、部族長間の力関係を読みきれずに、羊の贈り物をめぐって苦労した話しが朝日新聞で報道されていたけれど、そんな事は、いわば生じて当然のことなのではないかと思う。

こんな、島根県○○郡○○町の、さらにその中の、約200世帯少々の集落ですら、いろんな政治があるのである。そんな中では、コミュニケーションを誰ととるのか、誰から“総意”を聞き出すのか、によって随分話しが違ってくるハズだし、そのコミュニティの性質によってコミュニケーションのとり方も周知の仕方も違ってくるハズだ。それを外したら、絶対にウマくいくはずがない、のである。

そりゃ、難しいよなぁ・・・とK兄ちゃんと叔父の話を聞きながら考えていた。でも23時過ぎには、満腹の胃とちょっと呑みすぎたアルコールと、時差ボケ効果ですっかり眠くなり、誰よりも早く2階で就寝。翌朝、叔父とHくんは、その後TVのある部屋に布団を敷いて、親子揃って午前2時から放送だった『冬ソナ』を見たというのには、驚きを通り越して呆れてしまった。





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最終更新日  August 27, 2004 02:30:46 PM
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