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「出たっきり邦人」298号に掲載していただいた連載第15回原稿です。
---------------------------------------------------- ==出たっきり邦人/北米・オセアニア編 298号・12月3日発行 〓アメリカ・ミシガン発〓 道草みのむし三十路のみしがん 第15回★多国籍多民族多人種コミュニティ -------------------------------------------------------- | いきなり、問題です。 | (正解したからといって賞品があるわけではないのですが・・・) | 私が在籍している大学・大学院は全米でも有数のマンモスキャンパス | で、2004年秋学期時点で在籍学生数が44,836人、うち留学生は | 126カ国から3,315人います。さて、一番留学生数の多い国の順番は | 次のうちどれでしょう? (正解は文末です) | A やっぱり近いし、1カナダ そして、2ブラジル 3インド | B 急成長中の、1中国 そして2インド 3ブラジル | C 密接な中米、1メキシコ そして2アルゼンチン 3カナダ | D 元気な、1韓国 そして2中国 3インド | E 意外に、1イギリス そして2台湾 3日本 -------------------------------------------------------- 先週末のアメリカは、サンクスギビング休暇。サンクスギビングは25日の木曜日だったが、当日とその翌日は多くのオフィスが休みになるから土日にかけて大型連休になる。アメリカ人達は前の週からソワソワと落ち着きがなく、大学のクラスでも大学院のクラスでも、クラスメート達の話題は、いつ実家へ向けて出発できそうか、何人くらい親類や友人が集まるのか、というネタに集中。クラスのスケジュールによっては火曜日の夜あたりから遠隔地組の帰省が始まり、水曜日などはクラスがあっても学生はまばらという有様だっ た。 お腹がはちきれるほど食べるのが慣わしかのようなサンクスギビングディナーは、家族や親類だけでなく友人や知人も招いて、ご馳走を食べる喜びを盛大に分かち合うのがある種の美徳だとか。また、このサンクスギビング休暇に何も予定がない、と言うとアメリカ人達は非常に憐れに感じるらしく、何人ものクラスメートが熱心に「うちのサンクスギビングディナーにおいでよ」と誘ってくれる。日本人的な感覚では「そんな家族や親戚が集まる席にお邪魔するのは気がひける」などと遠慮に思うのだが、「お母さんが、『予定の ない友達は連れてきなさい』って言ってるのよ」とまで言ってくれる。 ところが、こちらは勉学に四苦八苦の留学生。この休暇が明けると学期末期間に突入とあっては、ペーパーやらリーディングやら調べ物やら、ここが時間の稼ぎどころである。同じ大学院生のスペイン人の友人などは「サンクスギビング休暇と書いて、キャッチアップ・ホリディって発音するのよ」ときっぱり言い切るほどで、今学期忙しいクラススケジュールに追われている留学生にとっては、とても遊んではいられない時期。私も、大学院4学期目にして最もきつい日課になっている手前、今年はグッと我慢してお誘いを辞退。サンクスギビング前日に降り積もった初雪を眺めつつ、部屋に篭って休暇をすごした。 休暇明けの今週、アメリカ人との会話は「サンクスギビングどうだった?」と聞いてあげることから始まるのだが、留学生同士だと「休暇どうしてた?」と何とも明るさのない調子でスタートし、お互いに肩をすくめ、頭を振り、よせばいいのに、これから学期終了までの二週間にどれだけのタスクを終えなければいけないか数え上げてみたりする。今年は周囲の留学生友人達も追い込まれている人たちが多く、旅行に行ったとか、大きなパーティをやったとかいったような、パッとした話はついぞ聞かなかった。 冒頭で紹介したように、うちの大学は大所帯で、今学期時点で、大学・大学院の学生・教職員を合計すると約49,350人。そのうち、留学生は126カ国・3,315人で、学生数全体の約7.4%を占める。マイノリティの割合はアフリカン・アメリカン7.8%、アジア・太平洋群島系 5.2%、ヒスパニック系 2.8%、ネイティブ・アメリカン 0.7%。ミシガンの、地元密着が基本の公立大学だから、もちろん白人が絶対的なマジョリティではあるが、その白人の中にも、アメリカ人、カナダ人、ヨーロッパ人が混在。また、アメリカ 人と一口に言っても、〇〇系2世とか、お父さんは中米からの移民でお母さんはヨーロッパからの移民で・・・といったマルチナショナルなケースも珍しくない。 この多様性は、ここが大学コミュニティだからであって、決してミシガンの標準でもなければアメリカの縮図でもないし、逆にニューヨークやロサンジェルス、サンフランシスコのような超多様都市に比べればたいしたことはないのだが、大多数の“普通のアメリカ”の基準からいけば、かなりの多国籍、多人種、多民族コミュニティである。今日も図書館のカフェでクラスメートと試験勉強をしていたら、右隣のテーブルは中国系のグループで、後ろからはスペイン語が聞こえ、左隣はヒスパニック系と白人の女の子達が勉強していて、前は白人とアフリカン・アメリカンの二人連れが何やら熱心に話し込んでいた。そういう私達も、日本人の私と、父方はもう何代も前からのアメリカ人だが、母方はユダヤ人という白人の組み合わせである。 多様性の度合いは、学部/専門分野、大学/大学院、などによって随分違ってくる。公立大学なので、学部は圧倒的に地元民が多いが、大学院生はぐっと多様になる。だいたいにして全米の大学院生の半数前後が留学生らしいから不思議もない。また、統計を見たわけではないが、学部によっても随分様子は違うようで、アジア人の学生が相対的に多いコミュニケーション系のカレッジ所属している状態で、先学期に政治科学のクラスを履修し、政治科学学部に出入りした時には、かの学部のアジア人の少なさ白人率の高さにびっくりしたものだ。一方、たとえば数学部のあたりを通りかかると、インド人と中国人の教職員しか見かけないという実感もある。 クラスによっても、白人12人に対してマイノリティが自分を含めて2人だけというクラスがあったり(比較政治・院課程)、25人中ノン・アメリカンは先生と私だけというクラス(スペイン語・学部課程)があるかと思えば、40人のクラスでアジア系40%、白人・黒人アメリカ人40%、ヨーロッパ人10%、ヒスパニック系10%、教授はアイルランド系というクラス(マーケティング・マメージメント・院課程)、東アジア人がマジョリティ、アメリカ人がマイノリティ、教授はカナダ人というクラス(比較文化広告・院課程)などいろいろである。 では、どの割合が自分にとって最も居心地が良いか、は一概には言えない。例えば、白人の中に絶対的少数で加わるのは多少なりとも疎外感があってしんどかったりもするが、東アジア人がマジョリティの環境が手放しでラクチンというわけでもない。特に何かの経緯でクラスのディスカッションや会話の話題が第二次世界大戦前後の歴史的経緯にさしかかってくると、やはり、よっぽどのことがない限り発言を控えようと慎重な気持ちになる。戦争の話題が出てくると口をつぐむ気持ちは、ドイツ人学生も同様だと言っていた。同じような慎重な態度は、台湾人と中国人が同じクラスにいる時や、インド人とパキスタン人が同席している時にも感じられる。 また、相手が日本とは絶対的に経済格差がある国の出身だとわかっている場合は、購買・消費にまつわる話題はやはり避けるし、アメリカ人相手でも家族や親類が派兵されている人の前では政権批判はしても、戦争批判は控えている。宗教・民族・人種を大っぴらに話題にするのは気心知れた日本人の友人との間のみで、普段は何がどう出るかわからないから、相手が言い出さない限り、或いは相手の背景がはっきりわかっていない限りはやはり話題にするのは相当ためらわれるものだ。 日本にいる時だって、それなりにいろいろ気を遣ってコミュニティの中で生きてきたはずだが、この多国籍多民族多人種コミュニティの中での気の遣い方は、またそれとは別の種類のものだと感じる。そして、コミュニケーションのなかで、民族的、宗教的、人種的、国籍的、歴史的に何らか微妙なシーンや雰囲気に出くわし、それらを慎重に或いは危機一髪で、決定的なダメージを回避するようなことがあるたびに、歴史を、経緯を、最近のニュースを、文化慣習を、知っていて良かった、助かったとつくづく思うのである。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
December 13, 2004 09:44:29 AM
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