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カテゴリ:泣きの涙のアカデミック
月曜日。雪を踏みしめながら、スペイン語の筆記試験会場へ。1時間半かかって兎にも角にも終了。予想していた問題と少々傾向が異なり、みんな結構ブーブー。しかも二題あった読解問題のうち、最初のものが、イエス・キリスト生誕と東方の三賢人の話だったのだが、あらかた話は知っているからラクなハズなのに、読めども読めども細かい説明がさっぱりわからない。終わってから『あんなの no ideaだよ』とお互いに言い合った。いずれにせよ、碌な点数は取れていない。はぁ~。
これでスペイン語全スケジュール終了である。進度の速いアドバンス基礎のクラスは予想をはるかに超えて辛かったし、これの成績が悪いのでGPAまで落としてしまって数字的にはとんでもない結果だったが、私の知識・経験としては本当に履修して良かったと思う。来学期はクラスを履ることはあきらめたが、B先生が自分のクラスなら聴講してもいいし、週に一度か二度、オフィスへ会話練習にも来ていいよ、となんとも親切なオファーをしてくださり、感激した。 今がちょうど、学んだ言語が使え初めている段階なのだろう。先日も、開発のクラスの調べモノをしていて、コスタ・リカの国勢調査とSocioeconomicのデータを探していたのだが、英語ではどうしても見つけられず、コスタ・リカ政府のサイトへ行ったら、ほとんどの情報はスペイン語でしか出ていない。が、必要な単語はすでに習って知っていたから、なんとか該当部署を探し出し、データを見つけ、試しに資料解説も読んでみたら結構理解できて、子どものように嬉しくなってしまった。 今さらスペイン語をチョロチョロ学んだからと言って、クラスでの学習だけで簡単にしゃべれるようにも聞けるようにもなるとは思っていない。ただ私の学習目的は、スペイン語で資料を読んだり新聞やメディアから情報を取れるようになることであり、その目標に対して考えると今学期の成果は大きかった。 英語は確かに国際公用語だが、一方で最近、世界には英語になっていない情報が山ほどあるんじゃないかと実感し始めている。もともと英語以外の言語、英語文化圏以外で書かれた物が翻訳されるか否かは、大まかに言って、英語文化圏でその需要があるかどうかという点でフィルターがかかってしまうし、翻訳時には作為・無作為に拘らずバイアスもある。訳者の解釈によっても出来上がりは違ってくる。英語文化圏の主観・常識・スタンダードを適用せずに異言語文化圏の事柄や、例えばその世論やトレンドを理解しようと思うと、やはり翻訳ではなく、該当言語が必要なのではないか、との仮説を持ち始めているところだ。 たとえば、ニカラグアの反米感情の構造・内情・世論を知りたかったのだが、英語で出ている資料は客観的だったり、アウトサイダーによる観察的なものばかりで、なかなか“肉声”を拾えない。世論を分析しようと思うと客観的・数的資料と同時に“肉声”も大きなファクターなのだが、それが見つからない。当然分析には現状との大きなズレが生じる、という具合。 数年前に母とイタリアを旅行した時に、街角で道を聞くには英語ではまったく通用せず、英語は国際公用語ではあっても国際共通語ではないことを実感したものだが、フィレンツエのような観光都市ですらそうなのに、まして世界の先進国以外の多くの国々では言わずもがな。 とは言っても、いろんな言語を一つ一つ学んでいくなど到底できないことである。ただ、英語で手に入れることの出来る資料に内包されるフィルターとバイアスについては頭にいれとかないとなぁ、などとつらつら考える。まぁ、今さらそんなことに感心したり実感したりしている私の認識の甘さのほうが、問題なのだけれど(苦笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
December 14, 2004 06:24:05 PM
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