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カテゴリ:泣きの涙のアカデミック
昨日の日記を読んでくださったM氏から、Shinさんの『楽しくしてこそ人生!?(アメリカ赴任編)』の2月9日・10日の日記『沈思黙考しない傾向のあるアメリカ人の側面』で、「(アメリカ人は)なんでそんなしょーもない質問すんねやろ?」というトピックが出てるよ、と教えていただいた。昨日私が出席したパネルディスカッションでの最初のトピック「留学生の多くはなぜ授業中の質問をしないのか」の対極である。 急いでShinさんの日記を拝読して大いに共感。 ----------------------------------------------------- 私がオハイオ州立大学に留学していたときのこと。 講義を受けていてしばしば感じたことに、 「なんでそんなしょーもない質問すんねやろ?」 というのがあった。特に Undergraduate (学部)のクラスで多かったと思うが、日本の大学の感覚では、まず間違いなく質問しないような、少し聞くのが恥ずかしいようなレベルのものまで、さかんに質問しているのをよく聞いたものだ。そしてこのことについては他の専攻の日本人の友達も口にしていたし、同じ学科でも韓国人や中国人やインド人が似たようなことを言っているのを何度も聞いたことがあるほどだった。 ----------------------------------------------------- アメリカの大学に留学されたことのある方はきっと「いや、ホンマに!」と思われる方が多いのではないかと思う。 昨日の日記では、留学生の立場として感じることに焦点を当てたので書かなかったが、実はパネルディスカッションの中でも、質問の質や英語力の向上については留学生に限った問題ではないだろうという教師陣のコメントも相次いであった。 クラスで聞いていると、聞いているこっちが恥ずかしくなってモジモジしちゃうような質問が結構普通に出てくる。英語が聞きとれないうちは一見活発に見える質問の量に感心しているのだが、だんだん聞こえるようになってくるとその質のバラツキに驚くようになる。中にはReadingの課題になっている部分にごっそり書いてあることを平気で質問するケースも少なくなく、思わず心の中で「読んでこいよ!」と毒づいてしまう。Shinさんも書いておられるように、私の周囲の留学生でもこの印象を持っている人は非常に多い。 ところが、教授達の対応はと言えば、読めば書いてあるような質問が出ても『それは〇章に書いてあったじゃないか』と返されたのは見たことがない。上手な教授だと、書いてあったことからの発展を交えながら説明されたりして、私のように心の広くない学生が怒り狂わないように対応される。まさに教育法の違い、文化の違い、というところだろうか。Shinさんの日記では詳しい分析がされています。 もうひとつは、ここが州立大学で学生の質にも幅が出てしまうからかな、とも思う。大学院の場合は、学部・学科によってまったく入学選考基準もそのレベルも異なるし、ある程度のパフォーマンスを維持しないとキックアウトだから全く一概には言えないが、州立大学のUndergraduateの場合は、州内の教育レベルを維持・向上するため州住民学生にできるだけ門戸を広くする、という根本的な使命があるから自ずと学力にばらつきがでる。 対して、Undergraduateに来ている留学生は、交換留学生にしろ、奨学留学生にしろ、私費留学生にしろツブが揃っている場合が多いから、差が出てくる。だいたい、留学してきている時点で、ミシガン生まれ、ミシガン育ち、ミシガンの外のことは知らなくてもいいと思っているような州内学生(注:すべての州内出身学生がそうだと言ってるわけではありません、念のため)とは経験値が違ってくる。 ま、とはいえ、私自身がアイビー・リーグや高レベル私立大学の学部レベルのクラスで授業を受けたことがないし、これからもきっとないので、比較できないんですが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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