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March 21, 2005
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カテゴリ:雑記
(これが、3月19日・土曜日の日記)

2年間勤めてきた土曜日の勤務先で、今日は卒業式・修了式・離任式があった。

去年担任し、今年は公民を教えていた中学3年生が卒業、今年担任していた中学2年生は修了して終業式、そして、今年度いっぱいで退職させていただく私の離任式である。

幼児部から高等部まで一緒に勉強しているこの学校では、卒業式も商学部・中学部・高等部合同で行う。卒業と言っても学校の特性上、高校生以外は、また新学年から新学部で勉強することになるから去年はあまり感慨がなかったが、今年は昨年・今年と教えた学年が卒業するというので、次々に名前を呼ばれ、修了証書を受け取る姿を見ていたら、彼ら彼女らそれぞれのいろんな姿、事件やエピソードが、文字通り走馬灯のように思い出されて涙が出た。

先週、卒業式の練習の方法や必要性について、卒業学年担任のO先生が校長先生と話している時に、校長先生が「卒業式というのは、それまで育ててきた親にとっても節目なんですよ」と仰った。親になったことのないO先生も私も、その視点を持ち合わせていなかった自分達に気づいて、その点についてしみじみ話し合った。三十路になるまでわかっていなかったのだから、自分達が大学を卒業した22や23歳の頃は、到底そんなことはイメージもできなかったものだ。親不孝なことである。

先週のそんなやりとりもあったから、会場の後ろや舞台袖にまわって、一生懸命カメラを構えている保護者の姿を見ながら、どんなに感慨深いものだろうか、と思っていた。

離任式では、離任する教師は短いスピーチをするように言われていて、一応3分程度のスピーチを用意して覚えてあったのだが、私の直前に挨拶した先生がスピーチ途中で涙がこぼれてしまったのを見てもらい泣きしそうになり、覚えた原稿などすっかり飛んでしまった。ここで、続けて私が泣いてはイカンと思うのだが、マイクを前に今にも声が震えそうで気がキでなく、もう何を話しているかわからなかった。職業柄、仕事だと思えば人前でアガってもコントロールできるし、マイクの前で立ち往生することもほとんどないのだが(ただし、日本語ならば(苦笑))、この挨拶ばかりはマズかった。

後から校長先生とお話したら、校長先生は離任式の挨拶で、これは泣いてしまいそうだ、と思う時は、あえて原稿を手に一生懸命読み上げるようにされるそうだ。私もそうすれば良かった。

修了式・離任式を終えて教室に戻り、中学2年生に成績表を手渡す。

今年からフォーマットがかわって書くスペースの少なくなった成績表は、膨大に書かなければいけなかった去年までに比べれば作業としては随分ラクになったのだが、実際、特に学年末に、生徒に成績表というオフィシャルなフォーマットを通して伝えておきたいことをできる限り書こうと思うと全然スペースが足りないものだ。悪筆な上にコチョコチョと小さな字で、しかも欄外まで使って書き込んだ成績表は決して読みやすいものではなく、保護者や生徒には悪いなと思うのだが、スペースのために内容を割愛する気にはならず、校長先生の黙認をいいことに、それで通してしまった。

合わせて、中2、中3の生徒全員に、一人一冊ずつ本をプレゼントするために用意してあったのでそれも渡す。この本のプレゼントは昨年退職した同期がしていたことで、いいアイディアだと思い真似したもの。冬、日本に帰国した時に、一人一人の傾向やら趣味やらに合わせてそれぞれ文庫本を一冊ずつ選んであった。昨夜、本に添えるそれぞれへのメッセージを書き、包装していたら、結局徹夜になってしまった。メッセージ書きに時間がかかったからだ。

受け持ち生徒数が計14人くらいで、しかも相手が中学生くらいになると、一人一人に対して書くメッセージのネタには困らない。顔も名前もクラスでの様子も、“こちらに見えている限りは”個々に把握できるから、成績表同様、それぞれへのパーソナルメッセージも、書く事がない、なんて事態には陥らないものだ。

脇へ逸れるが、こういった点から考えても、少人数学級は、非常に大切なのではないかと痛感する。ここでの仕事が週イチで、パートタイムの職であることもあるが、30人、40人の生徒を把握するなど、私の能力では到底無理だし、プロの先生にとっても生半なことではないだろうと常々感じてきた。確かに数学を教えている時には、ある程度のスケールダイナミクスが必要だと思う点もあるが、それも生徒の理解度や実力に応じた個別指導に基づいた上でのことだ。学校で集団学習、学習塾で個別指導が補われている、という観点もあるだろうが、generally speaking, 学校と、学習塾では、活動の目的が違うだろうと思うし、その目的から考えれば、私の勝手な意見の中では、“社会”(not equal 社会科)を学ぶ学校こそ少人数指導であるべきで、学習塾は集団指導でもいい。いろんな“社会活動”を経験し、学ぶ場である学校は少人数指導をベースに、たまに組織全体のサイズを活用したスケールダイナミクスを取り入れるできなのではないかと思う。

さて、生徒達は、寄せ書きと花束をみんなで用意してくれていた。一足先に帰国していった生徒のコメントや今日は欠席している生徒のコメントまでちゃんと書いてあって、生徒達が、何週間も前から協力してこの寄せ書きを用意してくれていたことを知り、泣けて泣けて仕方がなかった。仕事だから、今日は泣くまいと思っていたのだが、案じていたようにやっぱりダメだった。

今年は週に一時間しか教えていなかった中3生も、思いがけず寄せ書きの色紙を贈ってくれてなんとも言えず嬉しかったし、その他、それぞれの生徒やその保護者の方々からもびっしり書き込まれたメッセージカードやプレゼントをいただき、感激するやら恐縮するやら。体育館に降りて、次々と写真を撮り、保護者の方々にもいろいろと声をかけていただき、ハグや握手や笑顔や涙やお花や・・・まだ別れの実感はなく、何より、短い間だったが、勤め上げることができて良かったと心から思った。

この学校での仕事は、これまでにしてきた仕事に比べれば、労働条件も待遇も、決して文句を言えるようなものではないし、アメリカで学生をしながら合法的に働き収入を得る機会を与えていただいたのだから感謝こそあれ、というところだが、実際には、私の力不足もあっていろんな意味でかなりキツイ仕事ではあった。何より直接の相手が生身の人間、しかもティーンネイジャーというのは、思った以上にハードだった。悩んだり、心配したり、試行錯誤もしばしばだったし、失敗したことも数え切れないほどあり、寝覚めが悪かったり、疲れたりも日常茶飯事だったものだ。体力的にもきつく、無欠勤で通せたのは、ひとえに親友や同僚、校長先生のサポートのおかげだった。

一方で、生徒から、或いは彼らとのクラスでのやりとりや、保護者や同僚や校長先生から学んだことも膨大だった。毎週毎週目に見えて成長していく生徒を見ていると、量りきれないほどのパワーと元気ももらったものだ。また、ともすれば狭視界に陥りがちで、理想主義か机上の空論のトラップにはまってもおかしくないアカデミックの中で、実社会に近い環境と感覚を維持できたことも大きかった。

生徒達からのメッセージなどから推察するに、私は、彼ら、彼女らの中ではかなり厳しい教師であったらしい。宿題の量はできる限り減らしていたし、学業においてそんなにdemandingだったつもりはないが、挨拶や基本マナー、話し方にはうるさいし、大声で叱ったりするし、というところが原因か。

実際叱る時にはかならずその理由もつけるようにしていたし、生徒にしてみれば、「めんどくさい」と言えば「めんどくさくないことが、この世の中にあると思ってんの」と返されるし、「答えのないことはいっぱいある」とか言われて「まずは自分の頭で考えなさい」とか言われるし・・・と相当“扱いにくい”教師だったことだろう。そういう扱いにくさ、ウルササも“怖い教師イメージ”を煽った原因かもしれない。別に、“優しい先生”と言われることをめざしたつもりは毛頭ないが、中学生相手に厳しすぎたのかしら、とも今さら思ってみたり。

こういう私のウルササは、もう40年も教育者をやっている母の影響に他ならない。現代っ子の、何に対しても受け身で、与えられることに慣れ、与えられたことしかできない姿を憂えるこの人は、我が家のファミリービジネスである保育園の園児にとっては「鬼より怖い園長先生」である。子どもに迎合しない、つまり子ども扱いしない姿勢もまるっきりこの人のウケウリ。子どもとは本気で接し、本気で叱り、本気で遊ばなければ意味がないというのがこの人の理念である。

家業に興味を示さなかった不肖の娘にそれを直接教えたわけではなかったが、寄ると触ると、そういう話を聞きつづけてきたのだから、門前の小僧といっても染まり方は半端ではない。母と同じレベルには到底できないが、少なくともその姿勢を手本にしてるわけで、生徒にしてみればそりゃぁ、怖かったかもな、と納得する。

“道は自分で探し、考え、切り開くもので、誰かが用意してくれるものではありません。考え、切り開く力を自ら養っていってください。すべての知識、どんな経験もそのための材料です”と、生徒に贈った本に添えたカードに書いた。私のような未熟者が言うのは口幅ったい、エラそうなコメントではあるが敢えて書いたのは、生徒たちが抱く、“何のために学校で勉強したり活動したりするのか”という疑問に対する私なりの説明のつもりだからある。説明であって、答えではない。答えはきっと人によって違うことで、それは彼ら彼女らが自分で見つけることだと思う。


来週土曜日は生徒たちはお休みで、私は新任の先生や次学年の先生と引継ぎに一日を使い、それで仕事終了である。





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最終更新日  March 22, 2005 03:38:45 PM
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