カテゴリ:子供との気づき
「<からだ>の声を聞きなさい 2」 ●今日の気づき・・・ 「こども(まわりのヒト)は自分の受け入れてない部分を見せてくれる。 こどもを通して、自分のココロをみつめよう」 前に紹介した本の続編で、「夢をかなえる「そうじ力」」と一緒に 届いたのですが・・ 届いてびっくり!ぶ・・ぶあつぃ・・・前の本の2倍まではいかなくても 1.5倍くらぃはあるぞ・・・ ということで 今日やっと読み終えた。 もう、ホントに今のわたしにぴったりすぎて 「すごぉぉぉぃぃ ぅんぅん」なんていいながら読みました。 そして、なんと 11月に著者のリズ・ブルボーさんが来日して、ワークショップを開催! なんてお知らせがぴらっっと入ってまして、 ぃぁぁぁ このタイミングで 初来日!なんてホント、もう天使のはからい、 以外の何者でもなぃ! だって最初の本が書かれてから8年もたっているのだもの! さっそく 申し込みました♪ 名古屋と 東京で 2回開催で、私は名古屋に行くのだけど 東京はもう 満席になってました。 名古屋もすぐ満席になるだろぉなぁ・・・ 本をもらうのがあと何ヶ月遅かったら、ワークショップに行けなかったのだ。 私がおねえちゃんに 最初の本をもらったのが、この8月、 読んですぐ 2が発売!(最初本屋になかったのが何日か前は入荷していた) なんてタイミングなんでしょ。 お姉ちゃんが この本をくれたのも、まったく偶然で、姉宅に泊まりに行った時、わたしにあげる気はこれっぽっちもなかったのが、、「何かに導かれてそうなった(姉:談)」 とのコト。 ホントこの本からは もぉ書ききれないほどの気づきがあり、 これから 実践をともなって自分の中にストンとおちたのから じょじょに 書いていくつもりです。 今日、さっそくストン、と落ちたものを書きます。 最近の私は・・・ ●「そうじ力」により 少しずつ、家の中のマイナスパワーを取り除いている ●近くの神社に行き「もっと よくなりたいです。「自由で美しく」なりたいです。 間違ったコトをしていたらメッセージを下さい」とお願いする。 (神社については また書きます♪) ●常にココロの声を聞くようにし、恐れからきているのか、思い込みによるものか、 ホントの自分の声なのか、意識する。 同時にカラダのメッセージにも 注意する。 ●近所のヒトにあったら 知らないヒトでも 思いきって笑顔で挨拶する という感じで過ごしてます。 そうすると なんだか 直感というか、自分の中からくる感覚だとか、 がわかってくるよぉになりました。(まだまだですが) この本の中に「鏡の技法」というのがありまして、それはまわりのヒトは自分の鏡だ、ということで(イロンナヒトがそうおっしゃってますが) すごくわかりやすく書いてあるのです。 今日、私の母と、子供ふたりと4人で夕ごはんを食べていたとき、 下の5歳の子が 眠いのもあり なにか気に入らないらしく、私をたたきながら泣き喚き、何いってももぉ聞き入ってくれない、という状態になりました。 前からだけど最近、やたらそんな感じになり(特に夕食時)、私もどうしたらいいのか、わからなく、無力感のようなものも感じていました。 聞き入れたら、なんでも通ると思わせるのじゃなぃか・・などと思い、 受け入れようとはするもののだんだん イライラ・・・という感じでした。 私も母も 話を聞こうとするのだけど、手をつけられなくなります。 母もとっても イライラし、その母を見てわたしも すごくココロがざわざわする、 という感じでした。 で 今日も そうなったのですが、鏡の技法を使い 「この子は わたしに何を教えようとしてくれているのだろ・・ この子の今の姿は 私の何を表してるのだろう」 と子供の目をみながら、じっくり 自分のココロを見てみました。 すると メッセージがきたような感じで 「そぉか、この子は 私が、どれだけこの子のありのままを受け入れられるのか、 を試してくれてるのだ」と思いました。 最近 なんとなくそうは思ってたけど、「甘やかしちゃいけない」などの 声でかき消されてました。 今までは、ありのまま受け入れたい、と思い向き合うのだけど、途中で なんで 言うコトきいてくれないの?(これはコントロールになる)と思い、 結局は 100%は受け入れられないのでした。 この本に「相手に対する態度は自分に対する態度です」 というようなことが書いてあります。 きっと私は、まだ 自分の中のわがままな子供の部分を 受け入れてなかったのだ、と思いました。 私をたたきながら、涙いっぱぃためた目で まっすぐ私の目を見ている子供を見て、 きっと自分の中の子供もこうして 私にむかって泣いていても 私は 途中で目をそらしていたんだ、と思いました。 途中までは受け入れるのに途中から突き放すコトに 子供は混乱していたのだ、と思います。 それでも 諦めず、わたしに教えてくれていたのです。 私がそれに気づかないままで「わがままはいけない」となんらかの圧力で押さえ込んでしまったら、 きっとこの子はいつかあきらめて「自分の感情を表に出すのはよくないことだ」 と思うでしょう。 わたしがそう思ったように・・ 今日は ひたすら、そうしてむかってくる子を抱きしめながら、 自分のココロの中を見ていると、その子の感情に流されたりせずに 自分のココロは穏やかなままで、「きっと私が、目をそらしてるかぎり この子は教えようとしてくれる。自分の中の未熟な子供も受け入れたい。 そしてこの子のことも100%受け入れたい」と思っていました。 すると泣きつかれたのか、安心したような顔で眠ってしまいました。 わたしが 本当の意味で 自分も子供も受け入れたとき、 この子はこういうやりかたをする必要がなくなる、と私のココロがいいました。 母は こどもをずっと抱きしめてる私を見て「そんな甘やかしていたら 自分の我が通ると思わせる。 びしっと言わなきゃいけない時はいわなきゃだめだし態度でしめさないとだめだ」 とすごくイライラして言っていました。 母も自分のわがままな部分を受け入れていないので、ものすごくココロが乱されるのだ、と思いました。 でも 母がわたしに同じように教えてきたとして、 それが子供にホントにいいことだったなら私はもっといきいきと 生きてきたのではないのだろぉか。 でも 私は 自分の事を好きになれず、自分のわがままはいけないと、 自分を押さえつけ、ヒトの顔色を見ながら生きてきた。 こどもには「自分もヒトも好き!」と言って生きて欲しいと思う。 「受け入れる」と 「甘やかす」 は 違う。 この本には 「自分も他人も裁かないこと。自分も他人も罰しないこと。 このことが可能となれば、私たちが地上に来た目的はかなり達成されたことになります」 と書いてある。 受け入れる、とは同調するのではなく、そういうことなんだろうと思う。 「甘やかす」とは その子の選択の結果をその子に摘み取らせないことだと思う。 (自分が蒔いた種は自分で刈り取らないといけないのにそれをかわりに刈り取ろうとすること) これからは 感情に翻弄されず、ココロの声に耳を傾けたいと思う。 なんだか今日の気づきは とってもわたしにとて大きなものになりました。 読んでくださってありがとうございました! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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