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今日はおねえちゃんの誕生日だ。
3年先にこの世に生まれ、いつも私の先を歩いていた人。 わたしはずっとおねえちゃんの背中ばかりを 追っていた。 小学生の時は中学生のおねえちゃんがうらやましくてしかたなかった。 かっこいい先輩なんかが家に来てなんだかとっても楽しそうだった。 中学校に行ったら、わたしもあんなふうになるのだ、と思ってたけど 中学生になってもそうはならなかった。 やっと少し追いつけた、と思ったら おねえちゃんは高校生。 彼氏と自転車で帰る後姿を見て わたしも高校生になったらああなるんだろうと思ってたけど そうはならなかった。 やっと追いついてもすぐもっと先にいってしまう。 わたしにとって いつも手の届かないところを歩いてる、 そんな人だった。 顔も性格もまったく似ていなくって 私はいつも 「他人だったら絶対に友達にはならなぃ」と思っていた。 上から人を見下すようなところがキライだった。 私たちはそれぞれ違う部分でとってもとっても苦しんだ。 お姉ちゃんは、なんでもできた(ように見えた) 男の人にもなんだかもてていた。 何年か前、ずっとたまっていた「馬鹿にされている」という想いが ちょっとしたきっかけで吹き出し その後 かなりの間 絶交した。 いつも お姉ちゃんに憧れ、お姉ちゃんとくらべ、 自分はどんくさく、無能な気がしていた。 まったく連絡をとらない時期が続いたけど 「お姉ちゃんなんかいなくても平気だ」と思っていた。 でも なんかのきっかけで 話ができ、また おねえちゃと話せるようになった。 最近、お姉ちゃんがあんなに人を威圧していたのは 自分の弱さをみせたくないためだったのだ、と少しわかった。 お姉ちゃんはとても苦しみながら自分と向き合い続けた。 今 振り返ると、わたしが自分の中の何かにきづき 変わりたい、と本気で思った時 人生の中で 成長したポイントには 必ずおねえちゃんがいた。 どうしようもなくなった時 その時のわたしに必要な本をくれた。 何時間も話をきいてくれた。 自分の目をそらしているコトに向き合うための色んなものをくれた。 気がきつくって、いつも反応にびくびくしていたけれど わたしが本気の時だけは本気で優しかった。 魂のそれぞれの成長のために 同じ両親を選び 姉妹であることを選んだ。 感謝しているとか ありがとう とか なんだか 今言うと 何故か しっくりこない。 きっと どちらかが死ぬときに 言えるのかもしれない。 今日はおねえちゃんがうまれてから 12784 日目です。 誕生日の朝はどんな風に 迎えるのだろう? 今おねえちゃんのうまれた日の35回目の朝を私も静かに迎えます おねえちゃん、誕生日おめでとう 生まれてから何日たったか教えてくれるサイトがあります。 うまれてから何日目かを知るというのは、どれだけ自分の人生を積み重ねてきたのか、 を考えさせてくれるような気がします。 10000日目とか 15000日目とかお祝いできたらいいですね。 ↓ こちらです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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