カテゴリ:子供との気づき
●今日の気づき・・・・
「自分のココロをきくことができれば、ヒトのココロも素直にきくことができる」 今日は嬉しいことがあった。 土日はこどもが家にいるので、いつも、何をしようか迷う。 どこか行くところがあればいいのだけど、何にもない時は 変に「こどもにいい経験をさせたい」なんて思いすぎてしまい 結局、「一緒におかし作りしたぃな、ぁでも 材料なぃなぁ、いい経験させたいし こどもも喜ぶし、おつかいしにいってもらおうかなぁ、でも天気がいいから、 近くの山にのぼろうかなぁ、 気持ちいいだろうなぁ、そしたら、 おにぎりでもにぎっていったらおいしいだろうなぁ、 ぁ でも いまからだったら時間なぃ!ぁぁ!どうしよう!」 なんて具合でいつも 何がベストなんだか、よくわけわからなくなる(汗) 私はこども時代、とっても我慢していたような感じで、 いつも大人の都合が最優先だったので こどもが出来たとき、もっと素晴らしい経験をさせてあげたい、 と半分強迫観念にとらわれていた感じで今まできた。 逆に何もしなかった、と思っちゃう日は 「ぁぁ、なんだか今日は(私がこどもにとって)いいと思うことしてあげられなかった・・・」 と落ち込んで、自分を 裁いてしまい、それでちょっとプチうつみたぃになる、 ということが多かった(そうなった方がこどもにとってよくないって今はわかるけど) で、今日も 天気いいし、外でいい空気吸ってほしぃと こどもと(上の子の友達ひとりも一緒に)4人近くの山にのぼった。 (山といってもホントに小さいけれどいちおう山) すごく気持ちよかったけどなんだか疲れてしまった。 こどもたちはそれなりに楽しんでいたけど。 帰ってきて 1時にその友達が帰ってから さぁ・どうしょぉ・・・ 今日は母もいないので 私の決定や気分でイロイロ先が変わってしまう。 常にベストの選択をしたいと思っているのに、ごちゃごちゃ考えてるうちに、 時間ばかりたってしまい結局こどもを混乱させてりしてしまう。 人からみると、「大人がなんかしたげなくても、こどもは勝手に遊ぶって」 と言われるだろう。 確かにそうだし、普段はこどもだけで遊ぶのを横目でみながら家事をしている。 でも同じ遊ぶのでも、すごくココロが豊かになってイロンナことを感じれる遊びがして欲しい、とすごく思いすぎてしまう。 それには、おとなのちょっとした提案や、教えが必要な時があると思う。 きっとわたしの「もっと一緒に遊んだり教えてもらったりしてほしかった」 という潜在意識からくるところが大きいのだろう と最近思う。 こどもと遊ぶのは大好きだ。、一緒にカードゲームをしたり、家で本気で一緒に忍者ごっこをしたりする。 わたし自身とっても楽しい。でもどこか「本気で一緒に遊ぶ親でなければならない」 という自分なりの潜在意識からきているところもあるだろうと思う。 それで、今日友達が帰ってから、なんとなく自分自身 素になってみた。 今の気持ちを素直にこどもに話してみた。 「お母さんあんたらにもっと楽しいコトさせてあげたいし、 いろんな経験させてあげたいんやけど、 家のこともしなあかんし、ずっと外ばっかりいってるわけいかへんし何したら一番いいかわからんねん。」 と言ってみた。 「からだの声をききなさい 2」に 『両親から次のように言ってもらった子は少ないのではないでしょうか?「今日何をしてあげようか? 何をしてあげたら嬉しい?何をしたら嬉しいか、自分のココロにきいてごらん。 そして嬉しいことが自分のもとにくるように工夫してごらん」 今大人になってる人のほとんどがこんな親をもってなかったはずです』 と書いてあって 最近ホントにそうだなぁと思い、 自分自身にいつもこう聞くようにしていた。 こどもにもきいたりしてみたが、タイミングがあってないのか「わかんなぃぃ」などと言われていた。 でも今日、ホントに素直にこう聞けた。 「何をしたら嬉しい?どんなことが楽しいと思う?これから一緒に自分がわくわくして楽しいと思うことをしようか」 と言ってみた。 そしたら、下の子(5歳)は 「ぼくはかけっことかで競争するのがたのしいし嬉しい」 と言った。 上の子(7歳)は 「ぼくな、お母さんと一緒にそとで、キャッチボールとか、ドッジボールとかで一緒にもっと遊びたいねん」 と言った。 なるほど・・・一緒に遊ぶことがいいと思っていたので、イロイロしていたつもりだった。 でも家事が苦手で時間がかかったり自分の精神状態の不安定なぶん、外で一緒に遊ぶエネルギーを出せない日が多く たまぁに外で一緒に遊ぶだけで日常ではなかった。 それとやっぱり自分自身したいことが多く、母にこどもを預け、外にでかけることを優先したりしていた。 そして、それを補うためにも、「もっと素晴らしい経験をさせなければ!」とどこかに連れて行くことばかり考えていた。 「すぐそこにいっぱい自然があればもっともっと虫の成長や風や木のエネルギーを感じてこどもにとっていいのに」 なんて 今の現実の状況を否定するようなことばかり考えていた。 でも私が素直に聞いたことで、こどもが素直に「もっと一緒に遊びたい」と言えたんだ、ととっても思った。 「いい母親はもっとこうしなければ、ああしなければ」と思っていたけど、 それが本人のしてほしいことと一致してるとは限らない。 こどもだから「こんなとこいこうか、あんなことしようか」と言えば、 行きたい、したい、という。 なのでそれが本人の意思だと思ってしまっていた。 でも今、したいことって、ホントは本人しかわからない。 「こうであるべきだ」という枠をとっぱらって素直に聞いてみて、はじめてすごくいい空気が私とこどもとの間にうまれた。 そして 「じゃぁ、いまから、それをしに行こうね!公園に行ったら競争もできるし、キャッチボールもできるしね」 と言ったらふたりとも「うん!!」と目を輝かせた。 「自分のココロをきいてもらった」という喜びと安心感みたいなものをふたりからすごく感じとれた。 複雑そうにみえるコミュニケーションだけど、奥にあるものは単純で 「自分がどう感じているかを、ただ聞いてほしい」 という想いからくるのでは、と思えた。 じゃぁ 行こうか、と思った時、部屋がちらかっていた。 それで「このお部屋どう思う?きれい?」ときいたら「ううん」と言うので 「帰ってきた時、きたなかったらなんだか気分がよくないから、3人でかたづけようか?」 と言うと、自分の気持ちをさっききいてもらってしあわせな気分だからか、「うん!!」 と言ってなんと普段からは考えられない早さでふたりで協力しながらおもちゃをどんどん片付けていくのだ! 私は違う部屋を片付けていたのだけど、「片付けさせられてる」ではなく 「3っつの力をあわせたらぁぁ~♪」なんてハリケンジャーの歌なんか二人で歌いながら生き生きとした感じで、 あっというまに片付いてしまった。 「「させられてる」のではなく、自分の気持ちをきいてもらって、受け入れてもらったら、人って力がわいてくるんだなぁ」 と思った。 ホントにこどもの反応は素晴らしい・・ こちらの意識や気持ちしだいで、こんなにも、すぐに反応がかわっていく。 大人なら、こうはなかなかいかなぃだろうなぁ。と思った。 それから芝生がいっぱいある公園に行って 下の子のしたかった かけっこなんかの競争をして 上の子のしたかった、ドッジボールで中当てというやつなどをした。 楽しかった。 いつもうまくそういう空気が流れるとは限らないし それぞれの葛藤なんかもなくならないだろう、と思うけど なんだかこれだけははっきり実感できた。 「今までの思い込みに気づき、自分のココロの声を本当に静かに聞くことができるようになれば、人のココロの声もきけるようになる」 自分に対してできないことは人に対してもできないのだ、と感じとることができた。 ブルーになったり、やっぱり自分を裁いたり、人をみて焦ったり 毎日いろんな感情がうまれるけれど 今までと決定的に違うのは それをかえるために 自分以外のものに求めるのをやめ、ひたすら自分のココロと向き合おう、 としているところだ。 本当はどうなりたいか、今毎日ココロにきいている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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