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以前引越しにまつわる話の中で 家を決めた理由に「フィット感」を挙げ 「分相応」な感覚を大事にしている ということを書きました。 その後「身の丈」という言葉に 気づき そっちの言葉の方が素敵だし しっくりくるなあと思ったわけですが... 語源を調べたわけではないけれど 「分相応」て自分の身分的なものや 財産(⁇)とかとか 自分が属している「相」に 相応しいみたいな 意味合いが感じられるのに対し 「身の丈」と聞くと もっと個人的な個性や特性を持った 自分に見合う というニュアンス が感じられるからなんですね。 で。 今日はしあわせを感じる条件の一つとして 「身の丈にあった暮らし」を 大事に思えるかどうか そこに価値を置けるかどうか そこを味わい 感謝してしあわせを 感じられるかどうかという お話です。 わたしは幼い頃から しあわせな感覚が多い という感じで生きてきて その昔競争社会が 当たり前の社会価値観だった頃は 「安上がりな子」 「張り合いがない子」 などと家族に茶化されもしましたが (競争心が欠けていることを学校からも 心配されていました←こんなところにも 発達障害ぽさがΣ(゚д゚lll) 「しあわせ多い人生」といっても 常に楽だったというわけでは 決してなくて その時その時をちゃんと味わう ということが大事と思っています。 余談ですが好きな言葉の一つとして 良寛さんの 「災難に遭う時節には遭うがよく候」 「死ぬる時節には死ぬがよく候」 というのがあるくらいで 誤解を生みやすい言葉かもですが とーっても深い言葉なんですよ。 でもでもわたしには競争心はなくても 向上心は脈々とあるのです。 保育士という職業は そういう意味でもびったりで かつてまことしやかに言われていた 「競争心は人間が意欲を保つために 必要」 という概念を身を持って 「ほらほらそんなことなかったよん!」 と感じたものでした。保育士なりたて当初。 自分の身の丈を愛せないと 「今」にフォーカスして 満喫することが難しいのでは? なんて思うわけですが 「向上心」というのも 張り合いが感じられるほうが より充実感を味わえる という意味で あったほうが日々の満足度は 高めかもです。 何故なら人の体には「前と後ろ」があって 前に進むようできているからです。 時間も常に未来に向いているし 厳密には「今この瞬間」 なんてものはなくて というか 捉えることはできなくて 常に「未来」に矢印を向けて 変わり続ける「今」が無数にあり続ける という感じなので 「この先」に進み続ける今を楽しむためには 「向上心」てあったほうが 喜びも多いというわけなのです。 ではでは 「身の丈のしあわせ」に埋もれてしまうと 向上が難しいのでは? と思われるかもしれませんが そんなこともなくて 今の「身の丈」を味わいつくすと 自然と自分自身が変化して 「次」に進みたくなって 「身の丈」にあった「次」に 導かれていくのです。 でも必須なのは 「変化」であって 必ずしも「向上」でもないので あれあれ戻っちゃった! なんてことがあっても大丈夫。 「向上心」はあくまで 使える手段の一つとしてしてあるだけだし 戻ったかのように思えても 戻るなんてことはなく 常に新たな自分で体験したいことが あって そこを超えた先には もっと新たな自分に出会える楽しみも 待っていたりするのです。 進む道は直線ではなく 螺旋だっだりするしね。 ということで今回は 身の丈に合ったしあわせを感じられたら しあわせというお話でした。 自分が何に喜びを感じて 何を大切にしたいのか 自分自身の内側に常に問いかけて 身の丈に合ったしあわせ 見つけていきましょ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.05.03 11:47:57
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