どうしても残したくて
久しぶりの更新なのに、どうしても残したくて書き込みました。よかったら読んでください。実は先日、私の父が亡くなりました。突発性の肝臓がんで、見つかった時にはすでに10センチの腫瘍。その後いつも行っている病院ではなく、市内のがんセンターに紹介され2週間後に行きましたが、その時にはもう13センチになっていました。もちろんなすすべもないので、元の病院に戻され、入院することなく通院という形をとりました。このことがわかったのが、11月半ば以降です。入院してからでは、子供たちも会えないと思い、すぐにその週末に一度、帰省しました。その頃は食欲もなく、少し疲れた表情があるものの、普通に話し、子供たちに何か買ってあげたいと、しんどかったにもかかわらず、近くに一緒に買い物へ行きました。1泊だけして戻ってきたのですが、12月半ばに入り、我が家はいつも帰省はしないのですが、今年は帰ってきて一緒にお正月を過ごしたいと言われ、冬休み入ってすぐに子供を連れて戻りました。たった1カ月しかたっていなかったのですが、父は全く違う姿になっていました。朝晩、病院へ点滴へ行く毎日で、臭いがダメなので母も家で料理ができず、コンビニのお弁当などを食べる毎日でした。主人も仕事を終え、帰省し、私たちは同じ地元なので、2日ほど年末主人の実家で過ごし、お正月にまた私の実家に戻った時には、また全く違う姿になっていました。私が今まで見た中で、一番つらそうでした。なんとか夜の点滴へ行って、自宅に戻ってきてからは、さっきまでと変ったように、いろいろ楽しい話ができました。翌日、私たちは横浜に戻る予定でしたので、朝から準備をし、気分のよさそうな父と話をし、いい感じでバイバイして、私たちは横浜へ帰ってきました。しかし翌日午後、父は自宅でけいれんを起こし、病院へ連れて行き、母ももう自宅で見ているのは怖いと言ったので、入院することにしました。入院したころは落ち着いていたようですが、日に日に病魔は体をむしばんでいきます。私たち家族の願い、父の願いでもあったのですが、延命ではなく、痛みがないことが一番だったので積極的にがん治療をしていないので、病魔が蝕んでいくのは当たり前です。1月半ば、夜中に父が吐血をしたと兄から連絡が入り、翌朝1番の新幹線で私だけ帰省しました。とにかく痛みがないことを祈るのみで、早く父の顔が見たい気持ちで、でもできるだけ落ち着いて行きました。父は、すでに鎮静剤で、私だとわかる様子ではなかったのですが、声をかけると目を見開いて、私のことを見てくれました。それから4日間、父が苦しそうにすると、鎮静剤を増やすという日々でした。母と一緒に、交替で休みながら、病院で看病していましたが、19日の明け方、息を引き取りました。私の父は、団塊世代の人間なのもあり、とてもまじめで堅苦しいくらいの人でしたが、昨年には、国から叙勲もいただき、定年後は趣味のハ-モニカ教室の講師を3か所掛け持ちでして、毎日忙しくしており、たまに母も怒ってました。「趣味が趣味でなくなっている」とでも、とても格好いい人生だったなと、私は誇りに思っています。私は今、関東に住んでいて、実家は関西です。会いたくてもすぐに会えるところではありません。私は3番目の末っ子で、主人は2番目の末っ子。末っ子同士なので、要らない子だと思い、来てもらうことはあっても、めったに帰省することはなかったのですが、今はこう思っています。「帰れる時には帰ったほうがいい」ともし、遠方にご家族がいる方、元気だからと思わず、ぜひ帰って親孝行してあげてください。いえいえ、きっと顔を見せることだけが、立派な親孝行なのだと思います。最後までお付き合いしてくれた方、ありがとうございました。