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カテゴリ:徒然猫物語
ガッチャが逝った。
私は無気力に陥った。何もする気が起こらない。 落ち着いた歌を聴くと、感情が込み上げてきて、とても不安になって耐えられないので、 元気がいい曲ばかりかけている。 普通、外猫は脳卒中だろうが心筋梗塞だろうが、自動車事故を除き、死ぬときは1匹で隠れて死ぬのに、ガッチャはみんなが通る遊歩道で、いつも座っている場所にちょこんと座ったまま逝った。確実に見つかる場所で逝った。私に連絡してくれる人が通る場所で逝った。そこに座っていれば、いつか私に見つけられる場所で逝った。 猫は病気や怪我をした時は、心細いのか、最も信頼している人間や頼れる人間、好きな人間がいれば、そういう人間の所に行く。 死期を悟った最期の時も、少なくともウチの猫は、最期はいつも私の所に来た。膝の上に乗ったり、挨拶しに来たり。ガッチャもそうだったのかもしれない。 もしガッチャに人の目のつかない隠れ家で死なれれば、私は「きっともうガッチャ死んでる」と思いながら、いつまでもいつまでも必死でガチャを探し続けたと思う。 果たしてガッチャがそこまで考えたかどうかはわからないが、少なくともいつもいる場所で猫ボラさんが通る時間に逝くことで、ガッチャは死体が野ざらしになることもなく、カラスに食べられることもなく、骨壷になって私のもとに帰って来ることになった。 昔から、ガッチャはどの猫ボラさんにも、「あの子はかなり頭がいい」と言われた子だったので、この逝き方は、死期を悟ったあの子の最期の希望と優しさかなと思えてならない。 子猫の「疾風」(はやて)を育てたのもこの子。できれば生きて戻ってきて欲しかったけど、たとえ骨壷の形でも、戻ってきてくれてありがとう、ガッチャ。 ガッチャは最期まで優しくて正義感の強いオス猫だった。 (写真:2010年1月上旬、ウチに来て4ヶ月目のガッチャ) (写真:2012年12月当時のガッチャ) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.28 13:46:34
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