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2005.01.15
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カテゴリ:虐待
近年、自分の子供や生徒に対して暴力をふるう大人が増えてきている。
『虐待』を体罰だと言い張る大人がいる。

ところで、『体罰』とはなんだろう?
『罰』という一文字がついているため、『反省して欲しいから』などの意味を持っているから、悪い事ではないと誤解してはいないだろうか?

僕から言わせれば、こんなものは『暴力』でしかない。
それも、行為そのものを正当化して、自分は悪くない、いいことをしているんだという、悪質極まりないものだ。

僕の昔行っていた学校で、先生の校内暴力が話題になった事があった。
その先生は宿題を忘れた、授業中寝ていた、さらにはテストの解答欄に何も書いていなかったから等の理由で、休み時間に対象の生徒を呼び出して殴る蹴る等の暴行をしていた。
先生は、「これは体罰だ、お前らが悪い」と言う。
確かに、宿題を忘れたというのは悪いと認める。
しかし、それでいきなり殴られなくてはならないことだろうか?
通りすがりの人がぶつかってきて、いきなりこちらが殴ってもこちらは全く悪くない、と言っているようなものだ。

因みに、一人の生徒の親がこのことを学校側に申し渡したが、結局のところ有耶無耶になってしまった。
この時点でかなりの問題があるが。
さらに付け足すなら、この生徒はこれが原因で転校した。

『罰』という言葉がついているだけで『暴力が正当化されてしまう』というこの認識。
『暴力』は『暴力』でしかなく、理由がどうあれ、悪しき行為であることに気がつかなくてはならない。
たった一度でも、エスカレートすれば人を死に至らしめる。
人間が行ってはならないもの、それが『暴力』なのである。





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Last updated  2005.01.15 21:15:58
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