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カテゴリ:家族
みなさん、大変ごぶさたしております。
ナツのことで悲しいこと、辛いことがあった時は皆さんからのコメントを何度も読み返して癒されておりました。
また皆さんに悲しいお知らせをしなくてはなりません。 今月21日に実家の父が亡くなりました。享年79歳でした。 ブログのタイトルとは裏腹に最近は湿っぽい話ばかりですいません。確かにドタバタではありますが・・・(^^;)。
父は21日の朝、いつも来てくれるヘルパーさんと姉に風呂場の浴槽の中で冷たくなっているところを発見されました。 すでに死後硬直が始まっており、警察の検死の結果、水は飲んでいないので心臓が原因であると判断されました。 20日の日曜日には姉も姪も父に会っていましたが普段と変わったことはなかったそうです。 通夜は21日、葬儀は22日に行われました。
私はずっと父を憎み続けていました。 私と父の確執は中学3年生の時の高校進学の進路相談の時から始まりました。 そしてその後も色々あり、認知症の母の看病の時に父への憎しみは頂点へ達しました。
父の訃報を聞いてすぐに実家にかけつけた時も、通夜の晩も、自分でも驚くくらいに冷静でした。むしろ通夜の晩などは今までの恨みをきょうだいにぶつけていたくらいでした。
葬式が済み出棺の前に最後のお別れをする際に父の顔を見て、父の顔に触れました。 とてつもなく冷たくなっていました。 それで今までの恨みつらみはすべて消え去りました。 母はすでに父が死んでしまったことも分かっていないようでしたが、この時に「さよなら。さよなら」と一瞬涙を流しました。辛かったです。
自分でもなんておろかな45年間の人生を送ってきたのだろうかと、自分に対する怒りで嗚咽が止まりませんでした。 父には今でも言いたいことはたくさんありますが、確かに一番辛かったのは父だったと思います。 真面目にこつこつと働いて4人の子どもを育ててくれました。
火葬の後に初七日も同じ日にやり、その後身内で食事をする時に私はめまいと手足の震えを感じたので(多分自律神経にきたのだと思います)ダーリンと一緒に先に帰宅しました。 その車中でダーリンが言ってくれた言葉が頭から離れません。 彼はこう言ってくれました。 「有名でもない、誰も知らない、一人の男のささやかな人生だったかもしれないけど、お義父さんはそれをちゃんとまっとうしてくれたんだよ」
最期は家族の誰にも迷惑をかけずに独りで死んでいった父。 寿命をまっとうしてくれて本当にありがとう。 これからはあらゆることにできるだけ感謝して生きていこうと思いました。 それを気づかせてくれた父に感謝します。
おとうちゃん、今まで本当にお疲れ様でした。 優しい言葉をかけてあげられなくてごめんね。 生んでくれてありがとうございました。
残された母は、きょうだい4人で話し合いをした結果、施設に預けることにしました。 幸いケアアドバイザーの方がすぐに手配をしてくださったので、今日29日から入居することになりました。 母もいつまで生きてくれるか分かりませんが、なるべく顔を見せてあげたいと思っています。
冷たいと思われるかもしれませんが、父が亡くなっても、ナツの時のように寂しいとか悲しいなどの感情は沸いてきません。 でもこれからは父の供養を一生懸命してあげようと思います。
私もナツに続いて父が亡くなりさすがに疲れたのか、風邪をこじらせてしまい寝込んでいます。 相続の問題など事務的なことも姉や弟(長男)に任せきりで申し訳ないと思ってますが、ちゃんと体調が回復するまではかえって迷惑をかけるので今は治療に専念したいと思います。 そんなわけで、またまた皆さんには不義理が続くと思います。本当に申し訳ありません。
10月28日は愛の6歳の誕生日でした。お祝いにポチっとお願いします(o_ _)o
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