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テーマ:旦那さんについて(2446)
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このところ、ちょっとだけお休みしたのは相変わらず忙しくて・・・・じゃなくって、どうも私がオーバーヒートしたようで・・・。
さて、以前に我が旦那さんについて書こうかなって思いつつなかなか触れられずにきました。 私が旦那さんと結婚決めたことは文字に書くともしかしてちょっとだけかっこよくてドラマみたい(なんて自分では思っている) この話に触れるには私自身のことを書かないとダメなので・・・。 実は私は生まれつき右の目が見えません。 「先天性白内障」という病気で4回手術をしましたが視力を戻すことはできませんでした。 子どもの頃は病弱でもあり、視力のこともあり、外に出ることはあまり無く学校も休みがち、学校での席も指定席のように決まっていました。 幼い頃はその事が周りの子どもたちには目障りだったんでしょうね。 ずいぶんといじめられました。 ぞくに言ういじめられっ子だったんでしょうね。 でも、それはそれで何とか過ぎていったんです。 今のような陰険ないじめではなかったんでしょうね。 ずっと、沈みがちな性格であまり人は信じませんでした。 そして・・・・・ それでも自分のやりたいこと、なりたい職業目指して資格も取り結構前向きに生きてきたつもりでした。 でも、ある日もう片方の左の目が見えなくなりました。 以前に映画がありましたよね「解夏」って、映画の中で主人公の若者が目が見えなくなりますよね。 病名は「ブドウ膜炎」私も同じ病名でした。 この病気は完治は難しいのです。 一年近く光のささない暗闇の中での療養、お日様には会えませんでした。 それでも、医学は進んでいるんですね。 私は通常の生活ができるようになったんです。 でも・・・・・・ お医者さんは言いました。 「治ったんではないんですよ。いつかまた同じ状況になります。その時は多分もう視力を戻すことは無理になるでしょう」と。 今度再発したら失明しかないということ、そしてその日は必ずくるということの宣告でした。 その時から決めたんです。 自分の残された時間を思いのままに生きようと。 自分だけで生きようと。 もちろん結婚なんて絶対にしないんだと思っていました。 卑屈にならずに明るく生きたい。 誰も頼らずに生きたい。 そんな生活を送っていました。 結構元気で明るく過ごしていましたよ。 思ったことはすぐに実行、どんなことも可能性を信じて進んでいきました。 だから、友達もたくさんいました。 結構自分のこともあっけらかんと話していましたから周りも気を遣わずに付き合ってくれました。 ある日、友達と言うより仲間と言った方がいいかな。 その仲間同士の結婚が決まりました。 みんなで祝う会を計画しました。 たくさんのステキな想い出がいっぱいになるようなステキな会にしたいと思いました。 楽しい会になりとてもステキなカップルが誕生しましたよ。 そんなお世話役をしているときに今の私の旦那さんに出会ったんです。 彼はいつもやさしかった。 細かい気配りもしてくれました。 そして祝う会が終わったときに「結婚することを考えてほしい」と言われました。 もちろん私は結婚なんて考えられないのですぐに断りました。 彼は私のことをすべて知っていてくれました。 そして「時間はいっぱいあるからゆっくりと考えようよ」と言ったんです。 それでも私は聞けませんでした。 私の中に自分の人生を共にできる人が考えられなかったからです。 ある時彼が言いました。 「思ったままに生きていけばいい、見守っていてやるから」 「一緒にいられればいいから、何もできなくてもいい」 「それでもどうしようも無いときが来たら、ずっと一緒にいてやるから」 ・・・・と。 支えてあげるとか、力になってやるとか、そんなことは何も言わずに自然体でいい、ありのままを受け止めてくれると思いました。 そして結婚を決めました。 貧しい結婚でした。 でも、仲間たちはたくさん祝ってくれました。 ・・・・・・・と、まあこれがエピソードなんですが・・・・。 私はずっと変わらずに思いのままに生きています。 それがこのところの忙しさと、ストレスで目が見にくくなったんです。 いよいよ、来るべき時が来たかな? そんな思いでした。 少し無理をしすぎたようです。 まだまだ、大丈夫って思っています。 でも、体調のいいときしかパソコンには迎えられなくなりました。 旦那さんは何も言いません。 私が思いのままに生きたいから、何を我慢しても結果が同じならやりたいことを心残り無くやればいいと言います。 だから、私は大丈夫です。 今はちょっとだけオーバーヒートしただけ。 少ししたらまた、元気になります。 日記はぼつぼつとゆっくり更新していきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年07月13日 21時48分23秒
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