テーマ:夢を叶える人になる(1190)
カテゴリ:あほ天日記
なぜか、ここんとこモーツアルト! なぜかって生誕250年だからか。。。 今日の特番のなかでも、内田光子さんがおっしゃっていた。 「モーツアルトは真実に人を許すということを知っていたのだと思います。」 そうだよ。 下品な手紙くらい、どうだっていいじゃないか。 交響曲第4番?馬車の走る音のようなアンダンテの音楽が鳴り響いて・・・・・ 絵筆が持てない(心理的に)苦しみの中、 絵のビジョンだけが次々と表れては消えていく。 今日、突然気付いた。 私は苦しいです。 でもね、今の苦しみに根拠はないんです。 何があったわけでもない。 だから、幻かもしれない。 また、例によって幻影に振り回されているだけなのかも・・・。 絵を描くことは、祈りです。 音楽は天上界からのメッセージ。 だから、音楽が降り注いで、ビジョンが降り注いで、 それを描く祈りは、神への愛と感謝の祈りなのです。 祈りのない人は人でなく、描かない画家は画家ではない。 幻の八方塞の苦しみの中、 また、筋トレが勇気をくれました。 ちいさいやつ。。。 Mission- ミッションは インポシブルではありません。 今は完璧に実現可能です。 わかった! 無宗教の人は「祈り」なんてしないよ~ だから人でないなんて、むちゃくちゃっていうかも・・・というか当然。 でも、祈りは潜在するのです。祈りは人の本質だから。 芸術は潜在する「祈り」をも想起させる。 芸術は「祈り」そのものだから。 「祈り」は神の栄光をたたえること。また、それへの感謝の念い。 つまり「神の栄光をたたえるものが芸術」なのだああああああ。 おおっ、私の芸術論の理念が1本とおったぞっ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.03 23:34:23
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