太宰治
いつだったかつい最近,太宰治の特集番組をテレビで見ました。今「ヴィオンの妻」が公開されていますが太宰治ファンは一向に絶えず,それどころか近頃増えてきているという話でした。太宰ファンが彼をこよなく愛する理由として句読点の多さが指摘されていて,私の心に深く残りました。とにかく太宰の作品には句読点が多いらしくしかもその付ける位置が絶妙で女性の心をくすぐりファンを多く残す理由だそうです。今文庫本のカバーリニューアルが書店で多く見られますが太宰治の「人間失格」は文庫本では珍しくアニメのようなキャラクターになったことから更にファンを増やしたということでした。私は残念ながら最初から最後まで太宰作品を読んだ記憶がありません。強いていうなら「走れメロス」を中学のとき授業で読んだくらいです。これを機に読んでみたいなあと思います。句読点の話に戻りますが句読点は空間に言い換えれば「隙間」ではないかと考えます。隙間とか故意につくるものではなく必然的にできるものです。でもだからこそ重要だったりします。課題のプレゼンをするとき,パネルの隙間は重要です。記述しなければならない内容を一枚におさめることがいいことではありません。もしかしたら自分より大きな紙にたった一文字書いただけの方が作品の良さがもっと伝わるかもしれない。隙間は大事なものです。「今日すごく良い天気ですね。」「今日,すごく,良い天気ですね。」そんな風に考えると句読点て大事ですよね。