愛を形で見ている人は、本当の愛を知らないんだよ
『愛』とは形ないものだから
それだから故に測ることもできないんだよ
同じ心のものさしを持っている人など
ほとんどいない中、どれだけ測ってみたところで
自分の100%満足の愛などどこにもないんだよ
『愛』は測るものではなく、受け入れるものだ
そして、無条件に注げるものなんだよ
あなたのそのハートがちゃんとひらかれているのなら
いつも清らかに穏やかに保つことができているのなら
けして受け損なうことはない
例え、どんなに表現が苦手な不器用な愛情表現だとしても
あなたが愛し、あなたを愛する人の『愛』を受け損なうことはないんだよ
どんな風にであれ、しっかりとあなたのそのハートに
ゆっくりでも伝わってゆくんだよ
そっぽを向きながらどんなにグローブを構えたって
投げられたボールを受け取ることができないように
愛が欲しいと言っている人のほとんどが
心はどこか違うところを見ているようだ
それじゃ、いつまでたっても届きやしないよ
自分自身に愛を向けたことがどれだけあるだろうか?
自分自身をうまく愛せないのにどうやって人を愛するのだろう
どうせ誰も愛してはくれないと心を閉ざしていて
いったい誰があなたを愛してくれるだろう
ましてその愛にどうやって気づくのだろうか?
決め付けてはいけないんだよ
『愛』は自由なんだ
例え、その愛が届かなくとも、受け取ることができなくとも
押し付けるものでも、奪うものでもない
自由で、無条件なものなんだよ
愛されたいのなら
まず、愛しなさい
誰かを愛したいのなら
まず、あなた自身を愛しなさい
愛されることで存在価値を決めてはいけない
愛しているという強さを競ってはいけない
いいかい?
『愛』は自由で、無条件で、無限なんだよ
愛が届かなかったとき、また終わった時
その事を悲しんではいけないよ
誰かを愛することができたことに喜び感謝するんだよ
誰かに愛されたことに感謝するんだよ
終わった愛にどれだけ執着しても
自分を傷つけ、相手を傷つけ、
酷くなると自分や相手を恨んでしまうだけだ
もう一度言うけれど
『愛』は自由で、無条件で、無限なんだよ
だから、例え、あなたのその愛が今終わったとしても
あなたが空っぽになることはないんだよ
何故なら、あなた自身が『愛』そのものだからなんだよ