手放すということは
自分の一部を切り離すことではない
また、無理矢理に行うことでも
ある一定のプロセスを経て、ごく自然に
自分の中からこぼれ落ちるように離れてゆくこと
まるで誰かを見送るように、
ほんの少しの寂しさと、ほんの少しの悲しみと、
ほんの少しの清々しさと、ほんの少しの希望と共に…
大切なのは手放せないということではなく、
手放せずにいる自分がそこにいるということだ
なのにどうして手放せないでいるのかわからないと思うだろう
よ~く思い返して欲しい
何がそうさせているのか、
どんな思いがそこに秘められているのか
“不安”や“恐怖心”、“執着”や“体裁”、
それとも“孤独”や“依存心”
ひとつひとつに目を向けて、突きつめてよく時、
周囲の人達や環境で手放せないと思っていた事が
実は自分の気持ちや思いが
そうさせているのだということに気付くだろう
葉から自然とこぼれ落ちる雫のように手放せる事が
自分自身の思いに縛られて
こぼれ落ちないように必死に保っているかのように…
本質に戻る時、人は孤独を感じる
色んなものを抱え、抱え切れないものを落すまいと
必死に保っているからだ
手放すということは何かを失うのではない
余計なものがこぼれ落ちることだ
あなたの所へやって来たものが
その役目を終え、去ってゆくだけなのだ
愛と光の方へ
それはまるで“全てを持っている”ということを確認する為の儀式のように
そこには『愛と感謝』がある
けれども“所有欲”というものがそれを“孤独”や“喪失感”に変えてしまうのだ
手放すことは産みの苦しみのように思うかもしれないがそうではない
『あなた』という本質に還るということだ
愛と光と感謝をもって…