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カテゴリ:太極拳
夕方から宴席の為、練習を早めに切り上げた。
洛陽と言う都市は回族がとても多いので、回族料理 専門店が勿論ある。師娘とフィリップさんが回族な ので、回族料理店。 本日の宴席はそのお店でささやかに・・・・・20人来た。 武術学校の子供たちと、先生方、鄭一門。 食事が始まるが、全員酒が飲めない。 俺は少しは飲むが、兄弟子と頑張ってもビール一本で もうダメデス。 師父は酒は全然飲めない。武術学校の校長先生も 飲まない。 そうこうするうち、俺の紹介が始まった・・・・ と、言うのも、この席では俺が新参。何者だかハッキリ させとこうというのもあり。 ・・・・・・・・何だか、イロイロ言われています。 俺の6~4年前の話。 死にかけの状態で門を叩いた話、 鬼教師として学生達を叩き直した話、 学生を大学に送り込んだ話、 等等・・・・・・・ ・・・・俺、そんなにキビシイ先生だっただろうか・・・ 全然憶えてねぇ・・・と思いつつ、突込みをかわす。 太極拳の効果で健康になった云々の話の途中で、 『あ、これが、あの時の?』 と、言う話になりました。 俺、01年当時、陳氏太極拳の先生を探していたのです。 24式に対して、速攻疑問を感じ、中国でもイロイロ見た けれど、納得できず。陳氏やらイロイロな太極拳の先生を 探し、最後に辿り着いたのが、沈師娘。 で、この先生を紹介してくれたのが、当時の学校の先生の 友達。 写真左の女性である。当時も彼女の学校から全国チャンプが 出て、そう言う学校の知り合いならいい先生だろうと気軽に たずねたのが始まり。 師父は当時、めんどくさいと、新しい学生は受け入れていな かったが、この学校の紹介なので師娘との出会いとなった。 この人達が紹介してくれなかったら、俺は今頃地獄で釜茹? だったかも知れない。 当時の状況、当時の体力、イロイロを思い出すと、感慨深い。 20m走るとめまいがして、おなかを下した当時。経済的にも 先の見えない毎日。 今ではこうして楽しく暮らしている。当時の恩返しもダイブ 出来つつあるし。ついでに、当時、自分としてもっと払いた かった授業料もジリジリ別の形でお返ししつつある。 問題は、それ以上のお世話に今でもなってしまう事。 俺も、そろそろ太極拳の先生として動き始める。 こういった、出会いが俺の今後にも待っているのかなあ。 当時の俺の生活を書いたホームページ・・・・中国地方都市の生活。 ほったらかしにしてますけど。 宴会の模様は つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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