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カテゴリ:太極拳
では、先日の鎌倉円覚寺、早朝座禅の続きです。 太極拳は内功と言って、身体の中の気と言うか流れを制御する 練習を含んでいます。 ですので、当然ながら内観と言うのはありますが、練習で無に 近づくと言うのは少しアプローチが違うのです。 無拳と言う概念があります。これに近づく為に陳家の偉い人 たちは練習していますが、無拳に近づく為に意念と言う、目標 目的軌道等を意識して動きます。 これを繰り返すうちに段々捻ったり寄ったり滞らない身体を 作っていくのです。 ですので、最初から無を求めると言うか、そう言うアプローチは 太極拳では出来ません。 似ているところと言えば、太極拳は意識して身体を動かし、 座禅は数を数え呼吸を整えて自分の気持ちと姿勢を積極的に 動かすところなのでしょうか・・・・・ では実際の初めての座禅について感想。 先ず、凄く凄く足がしびれました。慣れない姿勢ですので仕方無い です。漫画やドラマ等で座禅を組んでシビレルと鍛えていないからと 表現しますが、あくまでも慣れの問題です。 ついでに私、足首関節が逆に曲がる(アキレス腱固め風)な柔軟性に 全く慣れていない自分に気がつきました♪ ですが、意外と難しいと思ったのが、 !!数を数えて意識を集中していく事。 呼吸に合わせて1、2、3、と数えて行くのですが、ずばり、4位で 仕事の事、家族の事、ドンドン頭に浮かんできます。 それが人と言うものでもありますが、禅と言う言うフィールドで 私はまだまだ自分をコントロールできないようです・・・・・ と、言うか、私も初めての座禅だし。 しかも足も痛い。 ・・・・・中国では立禅と言う手もあるのですが、日本人ですし、 侍文化に憧れる自分は。基本は座禅と思ってます。 ちなみに、太極拳の場合、気持ち空っぽで、ただ身体をユックリ動かす だけならあまり疲れませんし、太極拳の持つ養生効果や体術の練習には あまりなりません。 太極拳でも雑念はNG、では雑念ありっぱなしの状態では練習にならない としたら、どの様に処理するか。 太極拳の場合、雑念あろうが無かろうが、沢山動いて身体の外から中を 強制的に合わせるようにします。太極拳の動きで汗かいて心を落ち着ける と言うと簡単な表現になります。 変化を感じ、変化を自分の中に発生させ、最終的に無拳を目指す陳氏太 極拳。 身体を動かさず、内観を働かせ自分を無に重ねる禅(初心者の感覚ですが) だいぶ、アプローチの仕方が違います。 私が目指す師父の拳と説明で、無拳=無限の変化と私は捉えています。 最近、禅の本を数冊読んだのですが、禅ってどういう時も正しい心のあり 方を保つ方法であるとすれば、目指す心の世界は太極拳と近いと。 ところで、私が足がしびれて苦しんでいるところ。私の前20メートルほどの 所に座り修行されている人はどうかと言うと・・・・・ 座禅が始まって5分くらいで居眠りしてました。 慣れって怖い♪ とはいえ、侍チックな修行体験ができて満足。これで何か掴めたかと言うと 足がしびれた意外にほとんどないです。 そんなに簡単に物事判るとは思っていません。 ・・・・・上海に戻って、ようやく仕事の段取りが済み、生活のリズムも 元に戻ったので、そろそろ座禅またはじめようと思っています。 この間の参禅は、座禅の仕方を勉強して上海で一人続ける為だったので。 ・・・・・・禅Tシャツと数珠も買っちゃいました。 私は形から入るのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.26 17:08:26
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