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陳氏太極拳、と、そんな生活

陳氏太極拳、と、そんな生活

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2011.03.16
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カテゴリ:生活
日本の皆様、被災地の皆さん、頑張っていますかー

上海で太極拳、陳氏太極拳の教室をしている浦東太極拳教室から



私が陳氏太極拳に出会った街、洛陽での初めの日について
お話します。


洛陽と温県陳家溝は車で一時間半くらい、私の師父は10年程前に
引っ越してきて、洛陽で太極拳を教えていたのです。


そして、私は2001年の9月に洛陽にやってきました。


当時は小さな公立高校・・・・目茶目茶荒れていた高校に
日本語の発音教師として配属されたのですね。

薄給且つ、まるっきり約束の違う待遇で。

まあ、その話はおいといて・・・・・・・・・・


飛行機で北京から洛陽へ。


洛陽には空港があります。滑走路は一本。

50人乗りのエアバスを降りて、歩いて空港の建物へ。

横を見ると、戦闘機が3機鎮座していました。




当然ながら空港は小さいです。何だか、廃校と言うか、
閉鎖された病院みたいな雰囲気です。



迎えが来て、車に乗り込みました。空港のゲートをくぐり
最初に見た生き物は羊数匹。その次がアヒルです。


30分ほどで市街地についたのですが、その時の印象が


灰色・・・・・ホコリ・・・・・ コンクリートむき出しのビル


地面の汚さ・・・・・・などなど。





ズバリ印象は北斗の拳です。

漫画で言うと、北斗の拳、映画だとマッドマックス。



。。。。。。。これから、俺、どうなっちゃうんだろうか?


2004-11-25 043-2.jpg

と、思いつつ、学校に到着・・・・・すげぇ所に来てしまった感が
ますます強くなります。
何しろ、当時は学校付近の路は舗装されていなくて、泥道。

ついたら、昔の映画で見たような3階建ての校舎・・・・
そんでもって学生は・・・・・

2004-11-25 047-2.jpg


帰ろう、明日、チケットを買いに行こう。

2004-11-25 020.JPG

そう思いつつ、夜の宴席へ。


当時は全く口に合わなかった郷土料理を食べ、白酒を口にし、
ぐったりして宛がわれた宿舎へ。



ベッドが一つ、30インチのブラウン管テレビ、エアコン。


さて、テレビでも見るか・・・・・

と思ったのですが、コンセントが刺さってません。


つーか、コンセントまで電源コードが届かない。


頑張ってテレビの位置をずらしてテレビをつけたら砂嵐です。




アンテナ線が用意されていないです。当時の洛陽も既にケーブル
テレビでしたが、一応、アンテナ線として表現してみました。


電話は付いています。掛けられそうですが、かける相手がいない。


仕方が無い、トイレ入って寝るか・・・・と思いました。



が、トイレ、穴があいているだけで、便器らしいものはありません。


え?と思いましたが、一応、水洗らしいのでレバーを引っ張ってみました。





ここで金ダライが落ちてきたらドリフで楽しいのですが・・・・

水は流れません。



これは困ったと、辺りを見回すと、裸電球の明かりの横でプラスチックの
バケツがありました。
脇には水道の蛇口が有ります。蛇口と言っても、水道管にレバーがついて
いるだけですが・・・・

水は運よく?でたので、バケツに水をためて流しました。



翌日、早朝に目が覚めて、校舎の方を見ると・・・・・・

学生達が朝の鍛練に駆り出されていました。

さて、見学に行こうかと、ドアを開けようとすると・・・・・


ドアが開きません。


二重になっていて、一つ目のドアは開けられましたが、次の
防犯ドアが開きません。鉄製のドアです。


思わず、


   誰かいませんか―、開けてくださーい

と、叫んじゃいました。だって、見知らぬ土地で軟禁状態ですから。






それから、隣の住人が出てきたのですが、

正直、何言ってるのか解りません。 土地のかなり強い方言です。


中国には沢山方言があって、洛陽も例外では無いです。


さて、学校の担当者が来て、ドアの立てつけが極端に悪いだけと
言うのが解りました。


その後、トイレの工事、洗濯機の設営、テレビが見られる様に
延長ケーブルとアンテナコードを購入に、単にコンクリートむき
出しで小さなホウロウの流しと蛇口しかなかったキッチンの
内装とシンクを設営。

これらの事を、方言バリバリで聞き取れない、よそから来た
私が、一つ一つ整理して行きました。


半年くらいで住めば都かな? と言うくらいまでは落ち着きました。


当時の洛陽640万人の人口中日本人7名。

現在と比較するのもおかしいですが、上海には8万人の日本人が
います。それに上海は1860万人の人口。
とはいえ、何れも市街地として考えた場合、日本人同士が遭遇
どころか、外人さえ見かける事はまばら。
旅行者に遭遇する事の方が多いです。
その分、サービスについての概念とか文化、仕事に対しての
アプローチ等が様々違って苦労しました。


人並な暮らし?と言うところまで、色々な苦難がありましたが、
同時に忘れられない沢山の思い出を作る事が出来ました。


今では洛陽も経済発展して、街もだいぶ綺麗です。


舗装されていない道も減り、廃墟になっていたり、崩れかけていた
ビルやアパートは建て替えられています。

10年です。



あの頃の思い出は大切です。そして、あの当時に私は太極拳を
身につけました。単に、太極拳の動きを教えてもらったのではなく
太極拳を自分の物にするべく、受け継ぐ教授をしてもらいました。


まあ、そんなこんなで、いつの間にか洛陽は私が大好きで、いつも
思い出す、古都・任侠の街になったのです。


さて、現在の日本、良い思い出にはなるわけの無い、非常に困難な
状況です。私の思い出には人が亡くなったり、死の恐怖が付きまと
ったりする事は有りませんでした。

今の日本の被災地の方々と比較の対象では無いです。




ただ、私は思うのです。

日本人はくじけない。日本は負けない。逆境の中から、立ち上がる。
それにミンナ、一人ぼっちでは無いと思うのです。


今日のブログは、海外の地方都市での生活を伝える事で
少しでも皆さんの気晴らしになればと思います。

あ、洛陽も現在では結構綺麗です。何しろ、友人も多く、
第2の故郷みたいなもんです。郷土料理も美味しいお店を
沢山見つけましたし。




2004-11-25 053-2.jpg

仲良くなった学生に奢ってもらった夕御飯2元(30円位?)





日本の皆さん、頑張ってください!!






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Last updated  2011.03.16 15:54:48
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