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カテゴリ:太極拳
上海でひっそり陳氏太極拳を指導中です。浦東太極拳教室からレポート。
さてさて、前回の続きです。 感じ取る力が必要、すなわち感性・・・・ 9月16日の夜に飛行機で洛陽へ行きましたが、その日の夜に言われたのが 『外に出た時は、シンガポール人と言う事にする』 だそうです。 日本人はこの数年間、ODA、円借款、技術供与、そして企業や個人も中国で 経済活動をするだけで、多額のハンドリング費用と税金が丸々と地域に落ちます。 立派に認められた存在です。破壊の衝動に愛と熱血で積み上げられた努力が いとも簡単に壊されて行きます。 信頼関係もパニックの前には不安が先に立ちます。 師父は 『上海に戻るより、ココが安全だ』 と言いますが、私の立場上、それはできない。 何なんだろう、コレは・・・・・・・・・・・・・・・・・・ と思いながらも、自分に欠けている何かを感じる為、少しずつ心を 研ぎ澄ませます。 何時もの様にニヤニヤしながらも、心はニュートラルを保つように、 ヒタスラ身体を動かし、感覚を鋭敏にして・・・・・・・ 長持ちしなくてイイ 安くて同じ様な物ならイイ 極力見た目が良い方がイイ 安ければ買い替えの時に気持ちが痛まないから 痛まないのではなく、捨てて変えるのが当たり前 性能が良いだけでは駄目 機能が良いだけでも駄目 権利が有って主張が有って。でも、誰もが過分と言う事が見えなくなっている。 人を害するどこじゃなくて、恩人に牙を、親に手を出してしまう世界。 これが今の世界の色んなところで起きている事なんじゃないだろうか? ネット社会になって、クリック一発で色々な事を調べる事が出来る。 知らない人、国と気軽に近づく事が出来る。 でも、それだけで、画面で得た事で満足していい事なのだろうか? ・・・・・・・自分が疑問に思った事について、つい先日まで疑問無く 満足していたのに、今はナゼそれを疑問に感じたのか? ・・・・・・・・まあ、結論が出た今の私なら、2週前の私をけっ飛ばして しまうくらいのどうでもいい事なのかもしれません。 両親には恥ずかしくて自分の結論は言えません。笑われてしまうでしょう。 もう一つ、私が答えを見つけたかったのが、 『武は人の心を鍛え、優しくする事が出来るのか?』 です。 以前の私は 『武道、○○道と言っても、結局強いもん勝ちだし。第一、格闘技やら 武道家やら言っても、はしたない人結構いるじゃない!!』 と言う感じで斜に構えていました。私の学生時代の空手の先生は人格者で 皆の尊敬を集めていましたが、それを真似する自分がいませんでした。 己に勝つ??(正確には己に克つ)、なんじゃそれ! そんなの、武で無くても出来る人は沢山いるぜ!! 喧嘩の強い奴の大半がロクでも無いぜ!!⇒言い過ぎ! とういう様な。でも、強くて威張る人の方が多いと言うイメージは 今でもあります。 そんな自分が、去年から練習すればするほど、何か別の思いにとらわれて きたのです。 争い事が嫌いな自分、でも世の中は常に何らかの戦いで満ち溢れています。 経済でも何でも『打ちのめす精神』??なのでしょうか?? 武であれば打ちのめさないと駄目?? じゃあ、争い事の嫌いな人は武術はしてはいけないのか? 勉強苦手な人が勉強しちゃいけないのか?と言う事に繋がります。 『己に克つとまでは言わずとも、心を鍛える方法は武術に本当にあるのか?』 自分の太極拳は??? 太極拳は只管に練習をして技術を鍛え上げて行きます。 練習するには心を落ち着けてから練習をしなければ上達は難しいです。 ですが、変化と混沌の中の現代において、落ち着いていられる時間がどれだけ あるでしょうか? 心が落ち着かないと練習できないのであれば、すなわち養生も体力づくりも 出来ない事になってしまいます。 普通にルームランナーで走っていた方がましです。面倒な動作を学び、継続 する必要が無くなる。 太極拳の特性って何だろう?ナゼ自分は最悪の病状から身体を治し強くする事が できたのだろうか・・・・・? そんな事を考えては身体を動かし、そしてぼんやりと空を見上げていました。 極端に言うと、 今磨いている技術は世の中の役に立つのか?? です。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.10.06 18:02:32
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