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カテゴリ:太極拳
上海でひっそり太極拳を指導しています、浦東太極拳教室よりレポート。
さてさて。 ダラダラ書いてきた、 『今の自分達と自分が失っていたモノ』 『武は人の心を鍛え、優しくする事が出来るのか?』 今磨いている技術は世の中の役に立つのか?? 結論、凄く役に立つと確信しました。別に養生と言う意味だけでなく。 人を突き動かすのは感動だと私は確信しました。 感動?と言うと大げさに聞こえますが、心を動かし、動かされる事。 真逆が 『しらけ』 『否定』 『定型の押し付け』 思い当たる節は沢山あると思います。 ださい! 人と違う! 前例が無い!! もちろん、基本となる事無くして発揮された特徴や特殊性は個性と 言うより型無しです。 また、周囲の納得や“心動かす同意”無く勝手気ままに動く事は 単なる暴走です。 でも、何かを起こそう、動こうと思う前に、 『自分で自分の心を縛る』 と言うのが私達日本人若しくは『ある程度潤った社会』に存在する。 特に日本の場合そう言う雰囲気が強いです。 私が中学高校の頃から始まったバラエティー系の番組等に登場するお笑い タレントが、 『だっせ~!!!』 『こんな風にしているやつ、みっともないよね~』 的な形で若者の心を縛り始めたと思います。若者のパワーある否定は社会を めぐります。 普通の番組でも、社会にいる人達、いかなる職業・責任においても 平均化していないと否定される様な・・・・・・ 国の代表に庶民派を求めるとは、何と頼りない!! 私が学生の頃、3Kと言う言葉が有りました。しばらくして、 勝ち組負け組とか、ドンドンと薄っぺらいながら耳に残る言葉に マインドが向かう世の中が確かに有ったと思います。 ちょと話がずれました。 でも、そう言う『用意された価値』以外の『自分で納得して掴む価値』。 この、自分で納得して“掴もうとする”行為には茨の道が見えます。 新しいビジネスでも、勉強でも、芸術的な創造でも、健康を取り戻す 日々においても。生きて行く中で出てくる不測の事態や挫折。 不測の事態や挫折 そう言った、目に見えない恐怖。大きい事象だったり小さい事象だったり。 起きてもいない事を恐れる気持ち。これが心の動きを阻害するのでしょう。 さてさて、やっとここまで書けました。 恐れ・不安・怒り・・・・それらを雑念として捉え、乗り越えて行く芯の 強さを武術は鍛える事が出来る。 少しでも身体が動くのであれば、空間にある対象物を雑念と見なし破壊し 中和して行く。 世の中は雑念だらけで、その雑念を練習中に思い起こすならば、その雑念を 練習によって断って行きます。 次にどの様に動くのか、心で決めます 実際に動きます 更に次の動きを心に決めます 実際に動きます 動いている時、その動きを実感として捉える 当然ながら身体を動かしているので運動です。また、この様に動作の前に 心・意志を持って身体を操作する事は非常に疲れます。心も身体も。 様々なスポーツや習い事は目標となる対象物・・・・例えば、ボールで あったり、相手であったり、環境であったり。楽器であったり野菜だったり。 ラーメンのスープを作るのだって、常に『感覚感性』を働かせるでしょう。 良い味を出す為に、あきらめない心、次に何が起きるのか感じる心。 その様な精神を積極的に鍛えるのが“武”だと思います。 身体を使って感じると言うのは大切で、それが国民体育に繋がったと 聞いた事が有ります。昔の人はやっぱり感性も凄いですね! 勝ち負けを前提にした競技化されたジャンルもありますが、それを一つの 過程と捉える事が出来たら、ドンドン心も鍛えられる様に思います。 だから、スポーツ観戦で素晴らしいプレーを見ると心揺さぶられ、逆に 不正なプレーを見ると辛い気持ちが伝わるのでしょうか・・・根元的な 事なのかもしれませんね。身体を動かす事。 練習の時は勿論『打ち壊す為の荒ぶる魂』ですが、練習を終える時には 『落ち着いた気持ち』を取り戻す作業になると思います。 (出典・参考:荒谷卓氏 戦う者たちへ より) 思えば、空手や柔道などで、練習後の正座して黙想と言うのは凄く意味の 有った事なのですね。 では、私が習得した太極拳は??? 陳氏太極拳には 『意念』 と言う事が欠かせません。 ゆっくり動きます。ですが、動く時には必ず、自分はこの様な対象物に この様な手順で技を繰り出している・・・・と言う事を常に意識して 動き続けます。 また、技を繰り出すごとに陰陽が転換します。 湧きあがるチカラ・・・・・・陽 涼しげに戻るチカラ・・・・・陰 これを繰り返す事で身体の中を調律して行きます。 太極拳の法則によって身体を動かす。法則に従って体内の動きを操作する。 この一連の流れをコントロールすのが意念。 そして、意念は常に自分の実態(身体)が前に進むより先に動き続けます。 体調の悪い人・病気がちな人には、その人に合わせたチカラで。 元気な人には元気な人のチカラで。 練習すればするほど、前に進む力・体力・気力は鍛えられます。 そして、雑念も技を繰り出す対象を雑念と捉え、雑念を打ち、調和する 循環として意識し練習します。 この繰り返しが技術の上達と身体の調律・養生に繋がります。 そして、雑念を浄化しながら練習を続ける事で身に付いた心の有り様は 様々な事を感じ取り、相手に伝える事が出来るはずです。 別に宇宙が見えなくたっていいのです。私は見えないし。 愛と感動がエネルギー 心が曇っていると、エネルギーを気持ちよく感じる事が出来ない。 心の曇り・雑念邪念を打ち払い浄化するチカラが伝統の武。 平たく言うと、 『イヤな事に負けない強くしなやかな精神を自主的に鍛える』 そう言う事が出来る技術で、それによって健康にもつながる技術。 病気や体調の悪い人はより健康な生活に向かい、 健康な人はより壮健な生活に向かう。 鍛えられた心は素直な感じ取る力を強め、相手を感じるチカラに繋がる。 相手を感じる力は優しい心に繋がる。 おおげさかもしれません。 長々成りましたが、やっとこう言う事風に結論しました。今の所ですが。 とりあえず、おしまい! 自分らしくも無く、一生懸命哲学していました。 次回からは普段の 陳氏太極拳とそんな生活 です。 浦東太極拳へのお問い合わせはtsukamoto.hironobu@gmail.comまでどうぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.10.15 17:05:13
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