2002年10月16日夜
昨日の酒がまだ少し残ってる。昨日は友達4人で路上に卓を出す飲み屋で“牛の内臓の串煮込み”やら羊の串焼きやらをつまみながら二鍋頭をのんだ。二鍋頭は56度の焼酎。最初は匂いが気になるが飲みつけると旨い。2日酔いになる前に酔っ払うので便利な酒。コレを日本の歓楽街の話やら、休日の過ごし方、中国の方はどうかとか。あと、結婚はいつになったから、どうじゃの・・・・。ソレと仕事の話。
そう、僕は仕事で先月から洛陽に来ている。中国に来るのは学生の時から数えて通算で8回目くらい。イロイロ紆余曲折して中国で仕事をする事になった。 今年(2002年)の6月、親友の成さんの事務所で出会ったL君から『洛陽で日本人教師を探している』と言う話がきっかけだった。
『塚本さん、洛陽では日本人で日本語を教えてくれる人材を探しているんですよ。僕は若くて優しい、中国語が話せる、中国文化に理解のある女の子がいいと思うんですよ。生徒が熱心に勉強するし。でもね、塚本さんがやりたいなら紹介しますよ。是非やってみませんか。
と、言うのも、給料が安いんです。最初は日本円で4万くらい。あと、毎年ボーナスが7万くらい・・・・。デモですね、生活用品と電化製品は、テレビ、エアコン、ベッド、冷蔵庫、電子レンジ、キッチン、それと、必要なものは全て学校が出します。トイレ・風呂付です。食費・電話代・日常の交通費以外は全て学校が支給します。
あと、仕事の面ですが、中国人で日本語の教師が5人います。ソレとあなたをお手伝いする人が1人、秘書がつくのです。日本語の標準語の発音や口語表現を教えて欲しいのです。
学校は高校です。生徒は20人くらい。一日1時間~2時間の仕事で大変楽チンです。仕事の時間以外は何やっててもいいですよ。
どうですか?塚本さんはまだ体が万全じゃないし、カワイイ高校生達を教えながらユックリ体を治していけば良いのです。
洛陽は気候も温暖で空気も綺麗。北京のように夏暑く・冬酷く寒い程の気候でありません』(チナミニ全部中国語・彼は日本語が出来ない)
彼は中国に一時帰国していたので次の日の朝日本へと旅立っていった。
そして、帰国後、僕はまったく整理されてない情報や問題を一つずつ解きほぐしながら、9月12日に洛陽の高校に赴任したのだった。
先週やっと450人分(まじっす)の自己紹介表に返事を書いて一息。ひと段落かと思ったが、今週から学校の日本語教育方針と運営についての打ち合わせで結構ストレスあり。こりゃ、日本の仕事よりある意味キツイよ・・・・ってね。
『塚本!どうした、仕事の話は今日は無しだぜ!ほら、乾杯!乾杯!』
『ぷはぁ~、うまいねぇ、チンネン!どうだ?』
『おぉお、最高だぁ~』
ん~、完璧にハマットルな、俺・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そして、今朝も校庭から聞こえるホイッスルの音で目が覚めた。ん~む、今日も気合半分頑張らねば!
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このお話は、2002年の洛陽で書いていた私の孤独な日々(?)の記録なのです。稚拙ながら、内容は生々しいので、ほとんど手を付けづに掲載しました。
この、洛陽と関わるまで、その前には
「小さい頃からスポットで中国人や文化と関わる」
「学生の頃に独自に経済発展を予測し、研究開始」
「旅行中に体験した現実の熱風に酔い、留学と現地での調査を決意」
「卒業後の就職に対中国を目指す企業に特化したため大失敗」
とまあ、ざっくりとこんな感じで中国と繋がっていたのですね。
政治的な事には興味が無く(後にこれが弱点になる)、経済と文化に突っ込んでいって・・・・・
北京に転職の直前に胃癌が発覚し、緊急入院。
人生設計が狂った。
あまり太極拳に関係ないようですが、そこまでの過程や体験、学んだ事が最終的に自分の道に集約されていきます。
ちなみに、身体を壊す前までは「空手」をしていたのです。
手術して、体力も、夢も、何もかも失ってしまった・・・・
・・・・・・・嘘です。あの時点で、克服したらネタになると思っていました。
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東京教室・藤沢教室について、私の帰国に合わせて生徒の受け入れを開始します。
ご連絡は養芯会まで。
日本の教室も、新しい生徒さんは体力!とりあえずカッコよく動けるようになる!を主軸にスタートです。初心者も経験者も全く問題なし。
大事なのは程良いやる気です。
太極拳にご興味のある方は養芯会HPまでご連絡ください。
映像はこんな感じです。
太極拳は老若男女、体力の弱い強い、運動能力に関わらず、誰でも練習できます。
平たく言うと、中国式の筋トレです。練習するほど色々な事が出来るようになって楽しいですよ。