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カテゴリ:海外生活
このブログは上海・東京・藤沢等で指導する陳氏太極拳養芯会の塚本がぶつぶつ書いているものです。
中国と関わってしまったのは25年前。 そして、中国で仕事を始めたのは16年前。 まだ、日本のインターネットが電話回線だった時代。 中国がまだ、ポケベルが主流でまだ固定電話主流。携帯の普及が始まった頃。 ネットの情報より、現地情報は紙媒体を探し、かつ、大手の書店でも中国語のテキストコーナーがその他外国語枠に数冊しかなかった頃。 まったくの手探り、バックパック一つ・トランク一つで地方都市にわたってからの16年間のお話です。 当時の事情が分からないと今回のお話はさっぱり意味不明なので、前提を。。。 ・中国の内陸・気温の変化は一気に変わります。ゆるゆるではない。春っ夏っ秋っ冬っと言う感じです。この日記の時点では、それまで25度前後あった気温が、朝晩は5度前後、昼も15度くらいまでしか上がらなかった記憶があります。ついでに、日本の様な断熱材を使った壁ではなく、レンガ漆喰の壁なので、ジワジワと冷蔵庫です。 ・洛陽では外国人について欧米人と日本人では明らかに待遇の差があり、特に私のいた学校はひどかった。他の外人教師の部屋は絨毯敷き、エアコン完備、キッチン・風呂完備。私の部屋はベッド以外は洗濯機(給水・排水ホースなし)、トイレ便器なしの穴だけ、風呂(壊れた電熱器)、キッチン(小さなホーローの流しと脇に木の台+プロパンガスのコンロ更に最初はガスが入ってなかった)、テレビ(アンテナ線なし)、カーテンなし、エアコンは旧型のクーラー。いや~ん!と思いましたよ。 ・当時私が赴任した高校はだいぶん荒れた学校だったので、教師もあまりやる気がなく、授業時間以外については先生は休憩時間でカオス。何やってもOKでした。皆さん、卓球したり、トランプしたり、株やったり・・・ ・赴任当時の中国国内の日本語教育はまだ未整備。国定教科書一冊でしのぎを削ってきた英語と違い、国もどの様な方法で学生を育てるか模索中な感じでした。ついでに、やはり中国では「英語」に力を入れているので、日本語については 2軍・3軍扱い。落ちこぼれが勉強するか、かなり特殊な要求や市場に突っ込むタイプが勉強するかだったのですね。従って、教科書らしい教科書は 「○○日本語」と言う非常にボリュームがある割には使いにくい一冊がメジャーでした。 ・したがって、日本語を始めたばかりの高校生向けのテキストは自作するしかなかった。だいたい、学校側も当時は”日本語科”が出来たばかりで、年間スケジュールも教科書の準備もなかった。これって、かなり異常な状態だったのですが、彼らが”日本に留学斡旋する組織”の口車にのった結果だと知るのは後の事です。 ・一方、信じ難い事に、中国人の英語教師・一般教師は授業時間以外は会話の練習として外人教師を囲んで雑談OK、と言うか、ホントそこで勉強会をしていた。もう、何が何だか・・・・ ・途中で中国人教師がエアコンのリモコンを私に見せるくだりがあります。「エアコンのリモコン、これを見ろ。エアコンには暖房機能があるのだ!」と私に告げるのですが、私の部屋だけはエアコンは設置されていなかったのです。中国の組織ですので、一括注文した時に”浮いた予算分懐に”は当たり前なので、一部の部屋にはエアコンを入れなかったものと・・・・それが私の部屋になったんでしょうね。 ・中国の学生が気を使ってワンタンを持ってくると話していましたが、結局来なかった・・・・・と、当時は約束を破って!と思いましたが、そんなもんです。中国の子供ですからね。中国人は突然連絡してきたり、訪ねてきたり、約束を守らなかったり、居留守をつかったりは普通の事です。以前はイライラしましたが、今では日本人とは違うと完全に割り切ってます。あれから15年以上たって、だいぶん状況も変わりましたが・・・・ ******************************** 10月21日 もう、朝から寒い。 この寒さはイイカゲンヤバイな、って思いながら、部屋で今週の教案を作る。 正直事務所は煩くて仕事にならないのだ。でも、あんまり寒いし、教案要の資料が不足していたので事務所で続きを作る事にした。 しかし・・・・・事務所にはすでにアメリカ人教師(発音担当)のパットが既に雑談を大きな声でくっちゃべってる。うるせぇ!って思いつつも集中して一気に教案を作る。 一部中国語表現でワカランところが出てきたので、雑談に忙しい暇なオバチャン教師に 『ここら辺で、若者が休日に街をぶらついたり、服を買ったり、ウインドウショッピングをするところは何処か?』 って聞いてたら、パットが横から、 『彼は、仕事の時間から服を買う場所を心配してるのかしら(モチロン英語)』 だのと、中国人教師にオチャラケていってやがった。 『(かち~ん)俺は教案作ってんだよ!実生活に即した文章の方が生徒も興味がわくだろーが!』 って速攻言い返してやった(もちろん、英語です!)。 白でも黒でも、色なんか関係ない。ねずみをたくさん捕る猫ちゃんが好い猫ちゃんなの! ヤカマシイババどもが出て行ってから一段楽したので、楊先生(外人教師渉外担当)に 『僕の部屋には暖房がないので早く何とかしてもらいたいのですが・・・・』 って要求したら、総務課の事務所へ同行する事になった。 『塚本さんの部屋も他の外人教師の部屋と一緒に新しいエアコンをつけたはずだから大丈夫よ。』 『はぁ?新しい?俺の部屋のは10年位前のダイヤル式のクーラーだぜ』 他の事務員が、 『そんなはず無いよ。ほら、見てみな、このリモコン。暖房切り替えが付いてるだろ』 もう、カチンと来た。僕の部屋はハッキリ他の外人教師の部屋とは差がある。他の部屋にあって僕の部屋に無いもの。僕が要求してもロクニ通らないもの、他の外人教師が要求すると直ぐ調整が入るのに、僕が要求してもナカナカ通らない事が多々ある。第一、冷暖房完備は来る前からの約束だったはずなのだ!この件についても、先ず僕の状況についてはシッカリ確認されていないのだ。 イイカゲンアッタマに来た!で、言ってあげました。 『あ、付けてくれないなら構わないけどね。でも、今週中に設備整わなければ、俺日本に帰るぜ』 腹立つよ、マッタク。 昼、部屋に学生がワンタンを届けてくれるはずだったのにいくら待っても来ない。しょうがないからインスタントラーメンで食事。ラーメンを食べてると、別の学生たちが4人部屋を訪ねてきた。彼女たちは2年生。トテモ日本語が勉強したいらしい。今、全校で日本語授業があるのは1年生だけ。他の学年はソレがとてもウラヤマシイらしく、1年生から『日本語の授業はトテモ面白い』って評判らしい。俺、てっきり1年生のミンナはもう日本語勉強するのが面倒になったかと思ってたけど、まだまだやる気十分らしい。 学校の(洛陽政府の)“日本”に対する期待感の薄さ、先見の無さ、リサーチの無いところ、無能さに嫌気がさしてた。それに寒いし。 でも、 なんか元気出てきた! ****************************** この記録を読んでいて、 なんで当時の自分はサッサと日本に帰らなかったのか? とあきれてしまいます。この流れに身をゆだねると、ギリギリでも何とかこなす中国生活が続くことになってしまいます。経験値を持った中年の現在であればリセットを考えるところです。・・・・実際、その後の16年はギリギリな日々となってしまった。 踏みとどまった理由は、この前後から生徒・父兄から熱烈な支持と要望が毎日毎時間来ることになるのですね。ほんとです。 それと、良い経験になれば♪と思って軽い気持ちで探していた(それでも毎朝洛陽のほうぼうの公園を訪ねていたが)太極拳の名士と出会い、私の天命のピースは一つ一つと繋がり始めるのであったー 要約すると、ハマったと言う事です。 次回から、やっと太極拳との出会いです! ****************************** 太極拳に興味のある方は養芯会HPまで御連絡ください。 東京・神奈川(藤沢)での指導を行っています。初心者・経験者とも問題なしです。様々な他の太極拳経験者にもこれまでの技術を更に生かす講座を用意しました。 養芯会と私の太極拳の映像です。 太極拳は老若男女、体力の弱い強い、運動能力に関わらず、誰でも練習できます。 平たく言うと中国式の筋トレであり、健康体操です。練習するほど色々な事が出来るようになって楽しいですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.01.17 15:30:51
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