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カテゴリ:海外生活
このブログは上海・東京・藤沢等で太極拳を指導する陳氏太極拳養芯会の塚本がぶつぶつ書いているものです。
いまさら、昔々の話を書く理由は?と養芯会(私が指導している伝統文化・陳氏太極拳の団体)の幹部に質問を受けましたが・・・・ 近年、日中関係のごちゃごちゃは別として、民間での交流は史上空前の層の厚みを見せ、良くも悪くも日本の各地に様々な階層の中国人が生活し、インターネットやケーブルテレビをはじめ、様々なメディアを通して中国の情報・中国武術について等も気軽に”目にする”事が出来るようになりました。 ですが、現在も中国の伝統派で地道に練習をする職人タイプの古い先生やその一門の多くを探したり、教わったりするのは当時と変わらないと言う思いが私にはあるのです。また、文化を学ぶという事はその地域の生活や考え方等を学ぶ前に、現在の生活の中で地域の文化やマナーを学んでいると異文化と接する時に大変役に立つという云々・・・・ さて! 中国と関わってしまったのは25年前。 そして、中国で仕事を始めたのは16年前。 まだ、日本のインターネットが電話回線だった時代。 中国がまだ、ポケベルが主流でまだ固定電話主流。携帯の普及が始まった頃。 ネットの情報より、現地情報は紙媒体を探し、かつ、大手の書店でも中国語のテキストコーナーがその他外国語枠に数冊しかなかった頃。 まったくの手探り、バックパック一つ・トランク一つで地方都市にわたってからの16年間のお話です。 **************************** 10月24日 今日は太極拳の体験レッスンの日。一つ一つの指導が徹底的に細かい。一つの技を説明しきるのに既に1時間。そして、その説明どおりには簡単に動けない。 『塚本、コンフーだ!(日々精進する事)』 10月28日 風邪曳いた。参った。疲れた。太極拳はお休み。 授業が終わって、さぁ帰ろう、って思ったが、何時も通り質問攻めに会う。 そして、恋愛相談。 『先生、彼女が僕の方を見てくれなくなっちゃった。苦しくて御飯も食べれないよ!』 『鍛えまくって男を磨け!』 って、答えた。 う~ 家に帰ってクラクラです・・・・・・・ 11月1日 日記によると、先月末にヒドイ風邪をひき、前日の夜は同僚の仕事上の悩みを聞き、当日は学生の悩みを聞いていた模様。帰るはずが。。。 中国の高校は国定教科書が各科目で一種類。で、一冊ではない。超詰め込み式。かつ、経済力の弱い省には大学が少ない。学校も父兄も子供たちにはプレッシャーをかけるのですが、具体的な方法が無い。従って、落ちこぼれる子供は当然出てくる。一方、素行が悪くなければお客さんなのでほったらかし。 詰め込み教育は早朝7時の補講に始まり、通常授業は夕方まで、その後は夜9時まで自習。 まあ、簡単言うと、生徒の資質に掛かっているわけですね。先生達にはたっぷり休憩時間があるわけで。 まあ、そんな話を聞いていて、 これって、何とかできるんじゃないか? と、当時の私はスイッチが入ってしまったようなのです。 年末には帰るはずが、何だか一生懸命太極拳もやっているし、近所にも溶け込み、職場の同僚の悩みとか聞いてしまっている。 ・・・・・ハマったのがこの辺りという事でしょうか。 その日の夕方、沈先生のマンションへ行って授業を受けた。以下は当時の日記の文章。 ***************** 夜は太極拳の練習。新しい形、“ランザーイー”を練習。大変難しいのです。 ***************** 風邪を引いた原因は突然の寒さと、黄砂に喉をやられたから。 何しろ、空気が悪い。 だから、洛陽には星が見えないと勘違いしていたし、そう言う風に否定的に見ていたのでしょう。この辺りから、洛陽をキチンと眺める気持ちがでてきたのでしょう。たぶん。 3つ目の型を教えてもらったのが、授業開始後約一週間目。 私の記憶では3か月ずっと金剛搗碓だった様な気がするのですが・・・・・ 今思えば3か月延々とするのは 師父 が来てからの指導だった様な。 いずれにしても、このころもズット金剛搗碓が中心であったと思います。 後で本部王雁武館と交流した時も感じたのですが、王雁洛陽派はどうやら、そんな感じでした。 ****************************** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.01.28 10:21:37
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