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カテゴリ:海外生活
このブログは上海・東京・藤沢等で太極拳を指導する陳氏太極拳養芯会の塚本がぶつぶつ書いているものです。
現在、17年前、2001年・私が太極拳に関わった頃の事、中国河南洛陽での暮らしとアレコレを書いています。これが無いと、なんで太極拳?に繋がらないと思うのです。 今回も2002年の事。ただし、記憶をたどって書いていきます。 地方の荒れまくっていた学校の中でも、無気力な学生達が、何だか燃え上がって日本語班を結成し、ダラダラしているのに「カチン」と来て、てこ入れの為に焦っている所から始まります。 当時の私は、地方都市の暮らしに慣れ始め、沈老師の指導にも慣れ、1週間前に戻られた御主人の鄭老師との対話を始めたころ。 まだ、食事は一日2~3食。子供用のお茶碗に堅めの御飯を良く噛んで食べていたので、栄養が足りなかった時期のこと。 仕事をしながら、武術の練習をする。 寸暇を惜しんだ。片道1時間半の距離(当時は道が悪かった)、出勤の時間、授業の準備やら添削の時間。毎日6時間の練習をしたという事は、食事の時間以外はたいてい練習に充てていたという事。 もう一度は出来ないですね。 ************************** 当時の私はどうやら学校で起きる沢山のトラブルに対して孤軍奮闘していたようです。仲の良い同僚はいたが、彼らにはどうする事も出来ない。 知恵と度胸で交渉するしかない。と言うような。 自分に対するもの、日本人だからと言うあからさまな差別、元悪い子だった学生達の境遇、クラス内での学生同士の対立。。。。等等。 こういった状況に対して、ヒタスラ厳しい練習事情だった太極拳は、当時の私にとってはよっぽど心休まる時間だったようです。 ******************************* 当時を思い出して書いていくと、何しろ通うのが大変であった。 距離的に。それ以外で大変だったのが食事の確保と洗濯。 そのぐらいで、後は練習していればよかったので、何だか、凄くビビッドな思い出が無いように感じます・・・・。 現在の私は陳氏太極拳のデンジンで、養芯会と言う文化団体の総師範。 自分がメンキョカイデンになるとは当時まったく考えていなかったし、先生になるつもりもなかった。だから、当時の練習状況を文章化したり専用の撮影記録等もない。 酷いのは、当時生き残った全員、写真の記録は皆で食事をしている数枚のみ。 なのですが、中にはこれだっ!と言うような写真ががフィルムによるアルバムに残っていたりするので、それをもとに描いていこうと思います。 2002年2月の頃の事を前回書きましたが、その前後で私が練習を開始した時にいたその他2名は脱落。 その後、軍隊上りの陳君が入ってきて、その後呉さん、ピエールさん、緑豆君が入ってきて、女性問題で爆発したり、かつて鍛えていた鄭老師の第一世代学生達が戻ってきたり、破門騒動があったり・・・・ とまあ、そんな洛陽滞在2年半をイラストと文章で書いていきます。 ****************************** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.05.02 16:26:17
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