陳氏太極拳養芯会!
養芯会は!
陳氏太極拳第十一代傳人!の! 私! 塚本が!!陳氏太極拳を指導する団体なのですが、私の生徒達が独自の教室を興し、若しくは元ある技術を展開しています。漢方の教室や女性カンフー教室や整体施療院や。
武術系では村岡カンフークラブと南大沢ほんのり武術会と辻堂カンフークラブです。村岡カンフークラブは女性と子供に向けてカンフーで身体を鍛えましょう、南大沢は太極拳歴10年の先生が陳氏太極拳で武術っぽく運動しましょう、と言うコースです。イギリスロンドン支部では私と同じ方法で国際高校の教員をしている先生が陳氏太極拳を指導しています。東京八王子でメンタルヘルスの中野先生がいて、漢方は山梨の副会長のかぞくの中医学・薬膳そろそろ活動開始の様です、剣の腕はすっごいです。
さて。
私はズボラなので、文章を書く時など、技の名称などを探すのに自分の記録よりもネット検索で調べる事が多々あります。
今では太極拳の先生が多くなって、ブログやインスタグラムやらが沢山あります。皆さんがんばっているので、楽しく展開してくれるといいな!と願うばかりです。全体が盛り上がるときっと愛好家も増えていく。
ただ、発表の中に気になる表現を使う人も多くいて、それにはちょっと苦言を呈したいデス。
「太極拳からは武術としての技術が失われた」「自分の所は武術だ。他とは違う」「伝統とはこうだ」「よそとは違う」
と言った記載です。「よそとは違う」と言うのは当たり前の事で、それぞれの教室でそれぞれの教え方やスタイルがあってイイと思います。武術やら伝統やらましてや太極拳の責任を背負ってるわけではないですし、何よりも自分の生徒さん達をその教室の先生の方針で鍛えて行けばいいと思うのです。
ライトにゆるゆるでも、ゴリゴリに武術を目指しても、どちらも良いと私は思います。でも、優劣を語るのは良くない。
私は師父にその辺を強く刷り込まれているし、全体が盛り上がった方が良いので、ネットなどで「うちだけホンモノ」と言う表現を見るとガッカリします。
また、そう言った表現をする人の多くが自己解釈の技術論を乗せてしまうのです。
玉女穿梭と言う技があります。そもそも、玉女で穿梭なので、中国文学の素養があるか、若しくは古老に習っているかであれば、意味を教えてもらっていると思います。翻訳解釈で美女のロケットだと思ってバシッっと飛んでいく(確かに飛びますけど)と思ってそれを強調して考えて発言したり。
左右の敵を誘い込んで、とか穿梭は左右に動く事を意味する・・・・と言うのを見ましたが、間違いです。
あと、単鞭は指を開いてバシッと相手の顔面に打ち込むとか・・・・そう言う鞭は特定の趣味の世界の鞭で、単鞭と言うのは羊飼いとか、武具として扱われる5mくらいの鞭の事です。鞭を打つ動作なの。六方四閉とはワンセットではない。ちなみに、六方四閉の意味は八方ふさがりにしちゃうぞ!という意味。
と言うか、各技はそれぞれの中に沢山の技術を含んでいるけど、沢山練習するにつれて「一つの体術を目指す練習方法」に変わるのです。何をしているか意識して動くのは初期段階を突破した頃。次の段階では更に上を目指し、その前に意識した技は効率を無くすこともある。
大事なのはそれぞれの先生がキチンと生徒さん達を自分達のスタイルで鍛えて行く事です。他の先生や教室を下げ下げではダメ。みんなでアゲアゲで言った方が良いのです。