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今日の読売の記事で見た、群馬県高崎の綿貫観音山の古墳出土の 獣帯鏡と水瓶について思った事、 * 獣帯鏡は隣国、韓国の武寧王陵から出土したものと同じ6世紀の物体。 水瓶は中国山西省の鮮卑の6世紀の墳墓から出土したものと同じ物体。 鮮卑は百済と親しかったと言う。 同様に日本も百済と親しかったので、”大和王権”から与えられたものでは無いかと言う。 こう言う思考にわたしは異を唱える者であります。関東の王族が何故近畿王権と結びつかなければならないのか? 朝鮮の乱れから離脱して来た者たちがいたと考えるのが自然だろう。 日本に天皇制が存続する限り、正当な日本の歴史は無理だろう。 * 少年法について思う。 中世では5~6才から20才。 江戸時代は男子が15才、女子が14才ころと言う。 数え年で12~16才と言う頃もあったが、農村では18~19才と言う。 大人としての自覚は、10才頃からでも好いと、わたしは考えます。 現代と比べて、女子は辛かったろうと思うのは13,14で島田に結って 20才で年増、24,5才で中年増、29才で大年増と呼ばれていた時代。 この平成の時代を見たら、目玉が飛び出すでしょう!お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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