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去年の4月20日に、すっかり慣れ親しんだ仮設から5階建ての団地へ 引っ越ししました。 「アニキ、此処が終の棲家だかんな」とすぐさまに弟に言われて。 ・・・・(本当にそうなれば良いのだが)・・・・と思いましたが一抹の不安があった。 住み心地は仮設の方が良かった、湿度の高さには閉口しましたね。 秋半ば頃(?)、弟がある催しで出かけた所で、「気分が悪い」と言って 階下へ 下りて座ったソフアーでガクンと仰向けになって、意識を失った。 丁度、同席していたナースが見てくれたが、「脈が触れない」と言う。 もう、気を失う前から危ないと感じて、救急車を呼んでいました。 いつも行く近くの病院へ行ったが翌日、大事ないと言うので戻ってきました。 わたしも8月20日に、悪魔が又嘲笑うように10数年ぶりに出血。 常磐病院へ行く、病変は原因不明と言う 医師が電子機器へ打ち込むのも危うい手つき、若いナースが手助けをしている。 抗生物質も効かないし、chiも止まらない。 そこで、今度は最後の病院として、労災病院へ行く。 12月3日の事で、X線、CT、採血、検痰する。 12月17日、”非定型抗酸菌症”と診断される。 常磐病院での検査では認められた、アスペルギルスは皆無と言う事だった。 18日から、クラリスマイシン飲み始める。 平成28年1月2日、深夜、弟、倒れる。 3日に日が替わる頃、救急車で労災病院へ緊急入院。 又、仮設での暮らし(食事)に戻る。 1月14日、絶望的な病状を石原某から聞かされるも、覚悟の上だからヘイチャラ。 ヘイチャラじゃなかったのが、薬局までの道が迷路で痛む足で散々うろついた。 この日はタクシー代金が往路5.900円、復路5.100円要した。 1月7日、弟の手術、3本の動脈の内、2本が完全に詰まっていてもう少し時が 経ってたら死んでいたと言われた由。 1月22日、2度目の手術で成功したが、6か月後検査を要するらしい。 手術しなかったのは20年前、ステントを入れた動脈で、どうも其処が 問題になってるらしい。 23日は弟の誕生日だった。 1月30日、積雪、珍しい白い風景だが弟が退院してくる。 もう、1人ではいられない状況である。 1月31日、実父の命日、茨城へ移転する。 福士加代子のマラソン優勝を称える。 ぷららの手続きに戸惑う。 2月2日、スズとトトに再会する、2匹ともすっかり大きくなって 忘れずに窓際へ寄って来てくれた、嬉しい。 夜、しーちゃん夫婦とカメナシRが来る、英語の単語の片言を喋る。 2月5日、あ~ちゃん夫婦と大きくなったCocoちゃんと初めて会う ミラクルウーマンと会う。 あ~ちゃんの夫にライトを直して頂いた。 明るくて、読書もする気分になれた、ありがとう。 今日は寒いのかも、明日も寒いのかも。 2月5日は母の誕生日だった。 生存中は、歌を詠んで贈っていたけれど、今はその歌も浮かばない。 12月3日の父の誕生日も忘れていました。 これも、認知症と言う物の症例なのかなあ。
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