避難民として
3・13・早朝から 慌ただしく新しい場所の移動が始まる。よく晴れた日だが現実感が全くない。誰かに操られているという感覚が強い。体育館への進入路を見て改めて昨夜の運転の無謀を知る。車列を組んでどんどん山の方へ進んで行く。3台前の老人の運転する車が停止する。通り過ぎてしまったようだ、前方から役場の職員らしき人物が誘導してくれる。「Sさんの家がある」と母が言う。山の天辺らしき場所が公民館と小学校がある場所で、公民館が避難場所と確認する。福島県の2つの新聞社の新聞が置いてある。貪る様に読んで原発事故と放射能汚染、津波の甚大な被害を知る。テレビからは定めた居場所が遠くて見えない。例のごとく座布団4枚敷いて毛布を掛けて寝る準備をする。食事はパックに入れたご飯と小さな梅干し、一口の漬物だった。外は雪が降りだして敗れた障子から寒風が吹きこんでくる。締め切った屋内は汚れきっている。その夜は長くつらいものだった。