軽で長距離は応える
行き当たりばったりは、似たような性格で計画が変更するのは驚きません。弟の軽に乗って年金事務所へ行く。それだけで5日は終わる筈だった。しかし、「序でだからM・S市まで行ぐべ」となって2時間以上、乗車して元いた市まで出かけた。県の合同庁舎で、又もや弟が怒鳴って男性職員を泣かす。こちらはのほほんおっさんの典型で、どこ吹く風かって調子でただ、黙って突っ立ってる。それから、市役所へ行って、書類を4通無事に取得。I市を出るときに、焼きそばを食べたのですが、朝食抜きだったのでさすがに疲れて来た。以前は一日中営業してた目的の店は午後3時で準備中。「いやあ、失敗したな、30分前だった」と弟、落胆、わたしは右の背中が痛み出す。左の車窓から見える海面が、高く見える。地盤沈下してるのかと感じた。浜通りと言う地名を改めて、実感しました。地震前(大津波)には海なんて全く見えなかったのですが遮るものが失われたので、海が近くに見える。午後5時前に日没、暗くなってから目についた回転ずしへ寄る。米が不味いと感じるのは何処でも同じです。回らない寿司店で食べるものとは比較する方が無理。6時前に戻りましたが、ダウン状態。そそくさと寝ましたのが昨日の事でした。収穫は、原稿用紙を元通っていた書店で求められた事です。興味を惹かれた本を目にしましたが、手に取ることなく出てきました。街並みも大分変化していましたね。彼らは、もう原発が再度放射線を出すことが無いと信じてる様子。我々は、3月から団地へ移転しますが、これも原発事故が起こり得る事を想定しての行動であります。30年と言う長い歳月には、何が起こるかわかりません。