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「財布を拾って渡したじゃあねえか」
「そんなものを拾った夢みたのかい」 落語の「芝浜」はこんな調子の夫婦の掛け合いで話が進む。 酒飲みの亭主が芝浜で大金の入った財布を拾ったのは本当なのか、 夢なのか。女房の言を信じて亭主は働き者になる。 妻は3年間一心不乱に仕事に打ち込んできた亭主を労い 「久し振りに一杯どう?」と酒を勧める。はじめは拒んでいたが 「もう、あんたは大丈夫」としきりに勧められると、嬉しそうに杯を受け取り 「一杯、頂くとするか」と口先にまで酒が注がれた杯を運ぶ。 亭主は急に思い立ったように、杯を置く。 「おまいさん、どうしたの? 」 「よそう。また夢になるといけねぇ」 この噺(はなし)は、落語中興の祖といわれる三遊亭円朝が 「酔っ払い、芝浜、財布」の三つの題から作ったと伝えられる。 人情ものの名作で、落語家の三遊亭円楽さん(74)が引退を 決断する噺となった。 円楽さんは二〇〇五年十月に脳梗塞に倒れ、演芸番組「笑点」 の司会を降板したが、落語を口演できるまで回復。一昨日の国立 演芸場での「名人会」では、得意の芝浜でトリを務めた。 半年以上前から一日三回程度のけいこを重ねている。自分が納得 できるかどうか、最初から進退をかけていたと思う。 家を出るまでは「まだできるかな」と思ったが「声がだめだった」という。 客席から盛大な拍手を受けても「恥をかきたくない」と 高座を去ることにした。芸に厳しい人ならではの言葉だろう。 天衣無縫な芸風で知られる五代目古今亭志ん生も脳出血で倒れた後、 高座にのぼるまで回復した。でも「自分で演(や)ろうと思うような、 いい噺ってえものがどうもできにくくなってきた」と語っている (野村雅昭著『落語の言語学』平凡社選書) http://www.tokyo-np.co.jp/ 新撰組の日 1862(文久2)年のこの日、京都壬生村に「新撰組」の前身 「壬生浪士組」が結成されたことから。当初は将軍警護のために江戸 から上洛してきた浪士が居着き、そのまま京都の治安維持に当たる ようになったのが“壬生組”だった。 松山城、失火により焼失[1949年] 愛媛県松山市にある松山城の本丸入口の筒井櫓(やぐら)近くから 出火したのが1949(昭和24)年のこの日。炎は瞬く間に燃え広 がり国宝の筒井門、筒井櫓、続櫓をはじめ、戸無門、隠門などを焼き つくし、天守閣と乾櫓、北櫓は難を逃れた。出火原因は浮浪者の焚き 火による失火とみられている。この前月26日には、奈良県斑鳩町の 法隆寺金堂から、電気座布団のスイッチを切り忘れたことが原因の火災 で国宝の十二面壁画の大半を焼損しており、相次ぐ重用文化財の焼失に 国の文化財の保護に対する在り方が問題となった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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