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先日 忌野清志郎さんが亡くなられました 忌野清志郎さんといえば 私世代は「いけないルージュマジック」での 坂本龍一さんとのキス!に衝撃を受けたものです 高校生だった私は リスペクトし合う二人の間に 何だかイケナイ空気をビンビンと感じ取っておりました 確か、坂本教授は 忌野清志郎さんとの活動に終止符を打つ理由を 「このままいたら離れられなくなりそうだから」 とおっしゃってました 友情というには熱すぎる想いをもったが故に 二人の天才は 魂で惹かれあいながら 大人の事情(分別?)で離れなければいけないのね、 と高校生なりに切なく思ったのを覚えています (勝手な解釈ですけど) さて、 これは 忌野清志郎さんの十八番でしたけど、 実は私は その言葉の軽薄な感じがあまり好きじゃなかったのです チャラチャラしてる、そう思ってました CDが発禁処分になったりしたのも あーあ、また問題起こしてー、と思ってました ですが、この度、忌野清志郎さんの追悼番組を見て 自分の間違いに気付きました 清志郎さんは 「あなたの夢は何ですか?」 というインタビュアーの質問に 「夢は、いっぱいあるけど、 そうですね、世界平和のために 音楽をやっていきたいですね」 と、とても穏やかな目でさらりと答えました セカイヘイワノタメニ せかいへいわのために そんな風にさらりと言えちゃうのは それがあなたにとって当たり前だからなのですね 愛し合ってるかーい? ねぇ、まずは愛し始めようよ 君の周りの人から そうすれば、愛が愛を呼んで 平和な世界になっていくんだ 愛し合ってるかーい?の先には平和が待っていたんですね そんな事を知りもせず 軽薄だなんて思ったりした私のバカバカ ライブ映像で清志郎さんの歌っている姿を見ながら 彼の伝えようとしていたメッセージを きちんと受け取れていなかった自分を悔しく思いました あー、バカバカ もう彼はいないのに そう思うと悲しくて 涙が止まりませんでした 平和のために歌っている彼がまぶしくて 胸が痛くなりました いつの頃からだろう? 平和を祈る気持ちに無力感が伴いだしたのは・・・ 自分には何も出来ない 何も変えられない 何の力もない それどころか 日常の些細なことで すぐにブチブチ切れまくっている自分・・・ 違う価値観を持つ人とは衝突するか、 無視するか、冷淡さを隠す愛想笑い・・・ そんな自分に 平和を祈る資格すらないんじゃないか・・・ そう思ってました でも、清志郎さんの姿を見ているうちに 逆もアリなんじゃないか?と思いました 平和を祈る気持ちがあれば 日常の些細なことにブチ切れなくなるように なるんじゃないか? 平和を祈る気持ちがあれば 価値観の違う人を認める心が育ってくるんじゃないか? 愛し合ってるかーい?の先にあるモノが平和だったのとは 逆の矢印になるけど 平和を祈る気持ちから生まれるものが 愛し合う気持ちなんじゃないか? そう思ったら、また別の涙が流れてきました ホッとする温かい涙でした 私にそう思わせてくれた 清志郎さんの歌の力ってすごい! だけど、もう会えない なんて悲しい・・・ ライブ映像を観ながら 感謝と悲しさと悔しさと 色々なものの混じった涙を流す私でした・・・ 清志郎さん、ありがとう ご冥福をお祈りします ・・・その後も懲りずに しょーもないことで イライラしたり、むかついたりしている私です・・・ なかなか変われんなぁぁぁぁ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月25日 23時07分37秒
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