自責と他責
私は最近can notとdo notを意識している。これを意識している人はどれぐらいいるのでしょうか。何が言いたいかというと、「できない」と「しない」を区別するかどうかということです。最近、私の周りには「○○だから××できない」ということを簡単に言う人が多いのです。これは、自責ではなく、他責なのだということを言いたいのでしょう。しかし、本当にできないのかどうなのかを考えると、そうではなさそうなことも実はたくさんあります。つまり、can, but do notなのです。私は意識的にcan notをあまり使わないようにしています。can notを使うことによって、自分自身の心がcan notを多用するようになってしまい、できることもできなくなってしまうからです。常にあらゆることに対して実現の可能性を考えていたいなと思います。