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December 10, 2006
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カテゴリ:ヒーロー映画
 マンガの実写版映画が好きな人は、子供の頃にアニメ以前の人間が演じる「鉄腕アトム」や「鉄人28号」を見たにちがいない(そんなものがあったのかって?あったのですよ)。実写版「鉄腕アトム(1959年~60年)」または「鉄人28号(1960年)」は、今見れば、モノクロ画面にビンボー臭い映像が悲しい。じつは当時も、子供にだって、セットや扮装がチープだなってわかってた。お金の問題だけでなく、特撮技術の限界もありました。
 だから、頭の中のスクリーンでは、リアルな映像に補正する作業を行った。アニメの動きを実写版のキャラクターでなぞったのだ。その結果、あたかも自分たちの生きている現実世界に、鉄腕アトムや鉄人28号が存在するかのような幻想に浸ることができた。そこからですね、実写版の世界にはまってしまったのは。
 マンガまたはアニメには、そのジャンルでなければできない表現方法があり、それはそれで楽しい。けれど、アニメに怪獣が多数登場したとしても、ありがたみがない。アニメはやっぱり「絵」なのだから。実写の特撮映画では、一頭の怪獣が、町並みや逃げ惑う群集と合成されれば、ウソの世界がホントみたいに見える。そこがいいのだ(これは単なる好みの問題です。巨人贔屓か阪神ファンか、醤油味が食べたいか豚骨がそそるのか、などと同レベルでございます)。
 「ファンタスティック・フォー」は、「ハルク(2003)」や「スパイダーマン(2002)」と同じく、アメリカのマーベル・コミックのマンガ(通称アメコミ)が映画化された作品だ。実写版ヒーロー映画を愛する者(大勢いるとは思えない)には嬉しい作品だ。とはいっても、その原作マンガは見たことがない。アニメ「宇宙忍者ゴームズ」のことだよ、と聞けば、ああ、知ってる、と思いあたる。ところが、困ったことに(こんなこことで困らずともよい)、同じ時期に同じハンナ・バーバラ・プロダクションによる「宇宙怪人ゴースト」があったのだ。名前が似ているので、その二つを混同してしまう。
 テーマソングが、「ゴースト、ゴースト、ゴーゴーゴースト」だったか「ゴームズ、ゴームズ、ゴーゴーゴームズ」だったか混乱する(正解は前者)。黒覆面のキャラクターが忍者っぽいのでゴームズだったかな、と記憶をたどる。そうではなく、ファンタスティック・フォー(FF)のリード(Mr.ファンタスティック)は、手足や胴体がゴムのようにビヨーンとのびる。そこから日本版のネーミングは「ゴームズ」なのです(体中がのびたり縮んだりする様子から、ゴースト=「幽霊」という雰囲気がするのも混乱を煽る一因なのだけど)。
 それとゴームズには、仲間にガンロックという日本語と英語をミックスした名前のキャラクターがいた。オレンジ色の岩石男といった外見で、「ムッシュ、ムラムラ」とわけのわからない掛け声を上げて戦闘体制に入っていた。「ムッシュ、ムラムラ」は、映画では"It's clobberin' time!"(ぶっ飛ばすときだ!)となっていた。
 「宇宙忍者ゴームズ」と「宇宙怪人ゴースト」をきっちり区別したあとで、「ファンタスティック・フォー」を見た。この映画、ストーリー的には、盛り上がりを欠いているのではないか。後にファンタスティック・フォー(FF)と呼ばれる4人(リード、スー、ジョニー、ベン)と、彼らの宿敵になる人物(ドゥーム)は、宇宙ステーションで宇宙嵐の高エネルギーを浴びる。地球に戻った彼らは、DNAが変化し、体が伸縮する(リード)、透明になる(スー)、体中から火を発する(ジョニー)、岩のような肉体と怪力をもつ(ベン)、などと常人とは違う様子を見せる(常人と違う能力、すなわちヒーローの条件としての“超能力”を備えたわけだ)。
 リードは、変化について解明し、全員を元に戻そうとする。これが、主人公たちが取り組む課題である。普通の人間に戻りたい、けれども戻れない、どうしたら戻れるのか。課題解決に向けて話は進む様相を見せる。そのまま様々なハードル、襲い来るトラブルをはねのけて、ついに念願のフツーの人にもどる、という展開であればわかりやすいし、気分も乗りやすい。だが、超能力ユニットと呼ばれるスーパーヒーロー軍団(日本風に言えば“スーパー戦隊”?)が、常人に戻っちゃったら困るじゃないか。だから実際は解決には向かわない。
 さらに、ヒーローは、悪役と戦わなければならない。それが宿命だ。そこへ話をもっていくために、DNAの変化を通常に戻すという課題が、ドゥームを倒すことにすりかわる。高慢、ジコチュウのドゥームは、リードの才能をねたみ、スーがリードに思いを寄せたことに恨みを抱く。FFにちょっかいを出し、ラストの大バトルが展開する。結局FFのチームワークが邪悪なリードを撃破するのだが、なんでバトルを取り巻く野次馬がFFの勝利に歓声を上げるのだ?どうして、人々がFFの勝利を祝して「FFありがとう」の横断幕を掲げてパーティーをするのか?ドゥームが地球征服なり、ニューヨーク壊滅なりを狙っていて、住民がドゥームの脅威におびえていたのならそれもありだ。けれど、FFとちがって、ドゥームはマスコミに登場せず、陰で悪事を働いてきた。人々は彼の存在自体を全然知らないはずなんだけどね。なにゆえ皆さんはドゥームが悪の権化であることがわかったのだろう(ドゥームのいかにも悪役の外見からか?)。
 ストーリーに芯を通すためには、最初からFF四人組の結びつきを課題とし、価値観の相違、意見の食い違いなどで、関係が壊れるか壊れないか、最後は強固な結びつきで悪に挑むというあたりをもっとクローズアップすればよかったのではないかと考えるぞ (ノベライズの方では、ドゥームとの最終決戦を前にして「おれたちは、今の状態を受け入れることにしたのさ」とのベンのセリフがある。これは、当初の「元の常人に戻る」という課題に対する答えだ。しかし、今の状態を受け入れるに至る出来事が十分説明されてはいない) 。
 とはいうものの、「ファンタスティック・フォー」は、アクションシーンやコンピュータ・グラフィックを使ったVFX(視覚効果)など、映像的な見せ場は多かった。リードが最初に伸縮自在の体に気づくとき、テーブルから落ちそうになったビンに手をつかもうとすると腕がビヨーンと伸びる。その伸びた腕には、毛穴やほくろまできちん見える。コンピュータ・グラフィック(CG)でリアルに表現されている。
 かつてアナログ実写ヒーローたちは、リアルに見えるよう苦労を重ねていた。ご存知鉄腕アトムは、足からジェットを噴射して空を飛ぶ。実写版では飛び立つ瞬間に、力を込めるアトムの表情が写り、次に靴と地面の間から沸き立つ煙が写る。次のカットでは、人形のアトムがビューンと雲の間を飛行している。沸き立つ煙は、発射台から飛び立とうとするロケットのイメージから来ているのだろう。
 アメリカ版実写スーパーヒーロー、「地上最強の美女バイオニック・ジェミー(1976~1978)」では、サイボーグ美女ジェミーが、高速で走ったり、怪力を発揮したりするとき、チャタタタタタ・・・という効果音とともに、画面はスロー・モーションになる。
 アトムもジェミーも、まどろっこしい、お手軽などという印象があるが、作る方はアナログの条件下で非現実的な表現を工夫した。見る方も、(画面に出てこない映像などについて)想像力を刺激された。(多分、今の技術なら、“デジタル実写ヒーロー”鉄腕アトムが、ジャンプ→足からのジェット噴射→飛行体制の一連の動作をアニメと同じように見せられるはず)
 ここでアナログの例として引用した実写作品は、テレビ番組である。映画には、実写版スーパーヒーローものは少なかった。CGなどによるVFXの発達により、映画会社も頻繁に実写スーパーヒーロー、アニメやマンガの映画化作品を作るようになったのである。
 VFXによって、生身の人間と現実には見ることのできない画面効果とが違和感なくつながる。リードが、鍵のかかっているドアを開けようとして、手と腕を薄く変形させて隙間から侵入させ、内側から錠前をはずすシーンや、ドゥームとのバトルで手足を鞭の様にしならせたり、体を大判ブルーシートのように広げてドゥームを包み込んだりするシーンなどがストレートかつスピーディーな映像で展開する。
 けれど、リードののびのび超能力は、ヒーローとしてカッコいいだろうか。子供たちは、リードを見て、スパイダーマンに対するような憧れを抱くだろうか(今どきスーパーヒーローに憧れる子供自体がいないか)?
 アニメの「宇宙忍者ゴームズ」では、手足が伸びる超能力が他のスーパーヒーローとの差別化をもたらし、ちょっと毛色の変わったキャラクターとして印象に残った。しかし、実写になると、リードから、ヒーローの条件である強さやスマートさを感じない。
 例えばアニメの手法として、追われている者が壁に急いでトンネルの絵を描き、ヒューンとそこに入っていく。その様子を見た追っ手が、続いてトンネルをくぐろうと走っていくとドカーンと壁に激突するというものがある。このナンセンスなギャグを、実写でやったとしても、技術的にはできるが、アニメほど笑えない。それと同じように、アニメで人気を得たヒーローを最新技術で実写にしても、アニメほどは効果的ではない場合もあるのだ。
 FFの個々の超能力にはあまりふれなかった。最後にインヴィジブル・ガール、スーについて語る。スーがニューヨークの街角を歩いていると、通行人たちがFFのインヴィジブル・ガールに気づいてゾロゾロと後をついてくる。煩わしくなったスーは、透明化能力を発揮し、衣服を脱ぎ捨てて逃走する。観客(主に男)に、スー役の人気女優ジェシカ・アルバがヌードで走っている様子を想像させるサービス・シーンである。しかし、スーよ、透明といえども、素っ裸でマンハッタンのストリートを走って恥ずかしくないか?きっと脱ぎ捨てた衣服の中から、パンツを盗んでいく奴もいるぞ。
 
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Last updated  December 10, 2006 06:31:11 AM
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