|
テーマ:DVD映画鑑賞(14214)
カテゴリ:ヒーロー映画
香港ショウブラザーズのカンフー映画や武侠映画を見ていると、日本映画を見ているような錯覚に陥る。スクリーンに単純に顔立ちや服装の雰囲気が似ています。筋立てでは、例えばカンフー道場同士の対立を描いている場合、ちょっと設定を変えれば容易にヤクザの出入り喧嘩に見えてしまうこともありました。
でありながら、確かな違和感を覚えます。スクリーンに映る家屋の建て方(畳や障子のある、ない)や食事シーンの献立(見た目にあっさりした和食と油で炒める中華料理)からくるちがいではありません。日本映画だったらエモーションを刺激するべき展開が、香港映画では意外とさらっと通過してしまうところです。 ショウブラザーズ作品「激突!蟷螂拳(1978)」は、妻を殺害され、その復讐に挑みます。この夫婦、妻から夫への愛情シーンはありますが、主人公から妻への思いがあまり語られていません。そのために、復讐が心情的なものより、多少形式的な行為に感じられます。妻の死は、カンフーアクションのために理由付けみたいに受け取れるのです。 もう一本「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー(1972)」では、分別があり思慮深い国術道場の師匠が門弟たちに演説します。「えてして武術を学ぶ若者はケンカ好きになりがちだ。それでは武術を学ぶ主旨に反する。危険が迫っている場合をのぞいては、技を使ってはならぬ」しかし、そう語った直後に道場破りが来ると、師匠が率先して受けて立つのはどうなのか。危険が迫ったと場合という解釈だからいいのか。「うそつき」を3回繰り返したくもなります。せっかくいいことを言っていても、心にも響きません。日本映画なら、争いを回避しようとするがそれができず、不本意ながらついに突入してしまうといった葛藤場面が必ず出てくるものです。 大陸的というのか、それらの作品では、情緒面よりもアクション中心のおもしろさを優先させているのかもしれません。日本映画と香港映画が様々に似ているために、日本映画で描かれる情感が香港映画に見られないのは、何か肩すかしを喰らったような印象を受けてしまいます。 日本ならではの心情を、過不足なく、きっちりすぎるほどに表現しているのが、高倉健主演「昭和残侠伝」シリーズ(1965~1972)です。 007にボンドガール、寅さんシリーズにはマドンナという具合に、「昭和残侠伝」にも健さんの相手役にスター女優が出演します。これを健さんレディと呼ぼう(生命保険みたいか?)。三田佳子、藤純子そして東宝から星由里子も借り受けている。健さんと健さんレディ、必ず悲恋なのです。宿敵の妹だったり、かつて殺した相手の妻だとわかったり、盟友の妻におさまっていたりもします。この縛りが情感に訴えかけ、ドラマを盛り立てるのです。 例えば、復員してきた健さん、恋人綾(三田)が組のために結婚したことを知ります(「昭和残侠伝(1965)」)。 健「5年も留守してたんだ。そのくらいのことはあって、当たり前ですよ。綾さんは石岡組になくちゃならない人。これでいいんですよ」 三田「本当にそう思っているの。清さん」 健「綾さん。俺は戦地でもう一度あんたの顔を見るまで死んでたまるかって思い続けてきた。それがこうやって会えたんだ。もう十分幸せですよ」 三田「清さん。半年早く帰ってきてくれれば」 健「綾さん。言っていいこと悪いことがありますぜ」 泣けるでしょう。やりとりに双方の思い、立場がきっちり詰まっているのがわかる会話です。 健さんは言います「極道者の筋だけは通してほしいんだ(昭和残侠伝・破れ傘 1972)」。彼の原則です。「親分さんには何の恨みもありませんが、義理の上での勝負、お願いします」そう言って勝負を挑みますが、同時に「一宿一飯の義理は果たしたつもりです。あっしは榊組の親分を斬りましたが、残っている一家をいたぶるような真似は、我慢ならんねえんですよ」これが健さんの筋の通し方。 だから、敵対するやくざ一家が、商品の横取り、闇討ちなど、汚い手、卑怯な手段を使ってきても、激情に任せて仕返しに行くことはしません「兄貴、親分の恨みはどうやってはらすんです」「ばりばり働くんだ。神津組のど根性を見せてやろうじゃないか」(昭和残侠伝)。究極の“昇華”と言えるでしょう。この後、さらに組の若い者が殺されるなど酷い仕打ちを受けます。「殴り込みや」組の者が血気に走る。「やめろ!」止める健さん。「あんたくやしくねえんですか。見損なったよ」それでも耐える健さん。 争いごとを避け、我慢に我慢を重ねるが、敵対する組は、横暴の限りを尽くし、健さんの大恩ある親分など最重要人物が殺される、あるいは自分の守るべき組が壊滅の危機に瀕する、かたぎの衆にまで災難がふりかかる。ついに健さんがドスを抜く。しかし、集団で殴り込みにいくことはしない。人知れず、静かに敵地に乗り込みます。途中で待っているのが池部良です。 「秀次郎さん。駅は向こうですぜ」「へえ。まだ、用足しが残ってるんですよ」「そいつは、あっしにまかせておくんなさい」「三上さん。あんたはここに残らなくちゃいけない人だ。あんたがいなくなったら、姐さんや榊組はどうなるんです。あっしを行かしてやっておくんなさい」「ここで、あんたを行かしたんじゃ、榊組の面目が立ちません」「あっしはまだ親分に本当のお詫びをすましてないんです。せめて顔向けのできる男にしてやってください」(昭和残侠伝・唐獅子牡丹 1966) どこまでも筋にこだわるこの二人のやりとり。なんとか自分が犠牲になって、相手を生きたまま帰そうとする心持ちが、また泣かせます。なぜそんなに他人を立てようとするのか。そんなお互いの思いが通じて、一緒に死地に赴きます。一人よりも二人組で殴り込む方が、際立たって見える悲壮感。そして、一人(池部良)は必ず死ぬ。リアル志向であり、情動を揺さぶります。 「昭和残侠伝」シリーズは、全9作品。基本的な筋立てはだいたい皆同じです。第一作で感動を味わうと、またそれを体験したくて、全作品を見てしまいました。 倉田保昭著「香港アクションスター交友録」によると、デビッド・チャンが来日した折に日本食をごちそうしたが「普段、こってりした中国料理を食べている人間にとっては、油っ気のない日本食は淡泊に感じたのか、何となく物足りなそうな感じだった」とのこと。国によって、嗜好に違いがあります。映画に描かれる「情」の部分は、日本映画の方が“こってり”しているのかもしれません。 昭和残侠伝シリーズは、マキノ雅弘、山下耕作ら複数の監督が撮影しています。同じ和食でも料理人によって異なる味わいがあり、佐伯清作品が好みです。 毎週日曜日の朝には必ず更新しています。つぎも読んでくれたら嬉しいです。 人気blogランキングに参加中。クリックしてください。 ご協力、よろしくお願いします。 みんなブルース・リーになりたかった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ヒーロー映画] カテゴリの最新記事
|