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August 16, 2007
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カテゴリ:怪談
 先日のブログで、宋悦のことを親なのに、子供を不幸にしてけしからんと書いた。その考えに変わりはないが、宋悦の行動は理解できる。あまりにも恨みが深いため、感情に走りすぎているのである。

 感情的になっているのは宋悦ばかりではない。娘の豊志賀もだ。冷静になれば「どうしたんだろう-口を開けば責めてばかりだ。言った後にはもう悔やんでいるのにどうしてかー」と自己を振り返っている。豊志賀の感情及び行動は、父宋悦の呪いがかかっているので気の毒だ。

 呪われていなくても、男女の仲は感情的になりがちなもの。お互いに相思相愛と感じているときは楽しくゆとりがある。しかし、こんなに自分は思っているのに、相手はそれほどでもないんじゃないか、と疑ったとき、感情は乱れる。もう気持ちがなくなったのではないか、逃げられるのではないか、との気配を感じるとゆとりなんかもてなくなってしまう。「あたしに愛想が尽きて、逃げたんだと思ってね」
 「怪談」では、豊志賀がこの立場だ。その逆に新吉にすれば相手の気持ちが行き過ぎて鬱陶しく感じる。これが恋愛のパワーバランスだ。人がそういう状態のときは、端で見ていて、落ち着いて対処すればいいのにと思うのだが、自分のこととなると、わかっていてもなかなか難しい。あせって軽率な行動をとってしまう。

 豊志賀の錯乱は、宗悦に呪われていたからだ。それは豊志賀にはわからない。
 「どこまで苦しめれば気が済むんだァ」次から次へと降りかかる厄災に耐えかねて、新吉は、姿が見えぬ豊志賀の霊に向かって叫ぶ。新吉は、豊志賀の祟りだと思うのだが、もとをたどれば、宗悦なのだ。新吉自身は、宗悦のことなど、全然知らないのだから、まったく理不尽な話だ。

 いろいろなことがうまくいかなくて、自分の預かり知らぬところで何かに祟られているんじゃないかとの印象をもっている人もいる。とにかくついていない。必ずといっていいほどビンボーくじを引く。どうしてオレは、やることなすことうまくいかないのだろう。こうなったら、風水でもなんでもやって、運気を変えたい。
  
 しかし、自分だけが不運なのは、オカルト的な要因ともいいきれない。超自然現象は検証ができないが、ゆがんだ性格や偏りのある価値観が不幸を生んでいるのは自覚できるところだ。小さい頃から愛にめぐまれなかった。もっとも信頼すべき親から愛情が望んだように愛が受けられない。愛情が過剰であったり、偏向していたりするのだ。
 「私がこんなにおまえのことを考えているのに、おまえは期待にそってくれない(例えば受験で成績が悪かったりした場合。そう言われるから、失敗が恐くてがんばれない)」

 そうやって育つと、何があっても悪いのは自分だ。自分は罰せられるべきだと考えてしまう。「いいかげんにしろ」「ふざけるな」などと怒鳴りつける人がいると、感心する。なぜなら、トラブルがあった場合は、いつも自分が悪いからだと思ってしまうからだ。自分がもっときちんと行動していれば、こんなことにはならなかったと。

 あるとき、夢にまで見た愛が手に入った。初めて愛された実感を味わった。こんな幸せなことはなかった。だから、とてもとても感謝。けれど、自分には幸せは似合わないという気持ちが抜けない。幸せになれるはずはないんだ、と。そうやってぼやぼやしているうちに、愛はすり抜けていってしまう。
 こんな情けない思いはもういやだ。「愛想がつきて」当たり前だ。去られて当然。

 「長いこと厄介になったが、俺は-叔父さんのとこに戻るよ。そうはいかないんだ。師匠のためにならないんだ」新吉は別れようとする。
 そう、“ためにならない”んだ。一緒にいれば害をなすだけ。自分がいなければ、その人が幸せになれるというのなら、これは引き下がる方がいい。幸せになってほしい。
 
 この映画、夜の行灯のシーンがよかった。薄暗い。実際はもっと暗いのかもしれないが、他の時代劇にあるように、行灯一つで部屋の中が煌々と明るいわけはない。そのリアルさが、怪談という荒唐無稽な題材でも、作品に信用がおける要素になっている。

 父宗悦と豊志賀、お園姉妹は、もしかしたら共依存関係だったのかも。豊志賀と新吉もそんな雰囲気が。お園だって、人殺しの新吉を献身的に救うのは、その傾向があるんじゃないか。
 イケメン新吉は、女にモテる。そこですぐになびいてしまうのも、自分がないといえる(美女揃いだから仕方ないけど)。

 親から子へ伝わる共依存関係、やっぱりこれは呪いか。

 カウンセリングに行くべきか、お払いに行くべきか。



 
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Last updated  January 6, 2008 07:35:33 AM
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