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September 30, 2007
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カテゴリ:ヒーロー映画
 親に捨てられた子供は、デラシネ(根無し草)になる。でも、自分を信じて、前向きに生きなければならない。

「どろろ(2007)」

原作:手塚治虫
監督:塩田明彦
出演:百鬼丸:妻夫木聡 どろろ:柴咲コウ

 戦国の武将、醍醐景光は、天下を治める力を得るために魔物と契約を交わし、生まれてくる赤子の体から、手、足、心臓など48か所を差し出す。目も口も耳も足もない赤ん坊は川に流され、呪医師(のろいいし)の寿海に拾われる。寿海は医術を尽くして赤ん坊に仮の肉体を与える。
 赤ん坊は成長し、百鬼丸となる。魔物を倒すことによって体が一カ所ずつ取り戻せることを知った百鬼丸は、コソ泥のどろろとともに魔物退治の旅に出る。

 百鬼丸は、親の野望のために魔物への献げ物とされ、挙げ句に川に流された。どろろは、戦乱で両親を失い、こそ泥となるしか生きる術がなかった。主人公二人は、親との縁が薄い。
 さらに、映画の中では、圧政による生活苦のため、口減らしに農民が自分の子供を捨てる件がある。その子供達は、魔物が自分の子供を育てるための餌にされている。

 百鬼丸は、次々と魔物を倒し、自分の体を取り戻していく。そして、自分の出生の秘密を知り、実の父である醍醐景光と対面する。そこでもなお受け入れてもらえない百鬼丸、やがて父景光との対決が迫る。しかし、どろろは叫ぶ「親殺しの罪を着て、地獄へ堕ちてはいけない」

 子供にとって大切なのは、親から無償の愛情をかけられることだ。親から認められて育った子供は、自分を肯定的に見ることができる。しかし、親から愛情をかけてもらえなかった子は、自分の存在感が希薄になってしまう。
 親が愛情をかける、かけないとは、一見してそうと分かる単純なことではない。百鬼丸のように、実際に捨てられる場合があれば、家庭が円満なように見えても、子供に必要な愛情がかけられていないこと、愛情のかけ方が間違っている親もいる。親の都合で、子供の絵筆を使って親が絵を描かせているような育て方をされたり、親が常に子供から見返りを求めるような条件付きの愛情しか与えられなかったなら(「お母さんはこんなにあなたのことを愛しているのに、どうしてあなたは勉強ができないの」など)、子供は親に心を支配され、自分を見失ってしまう。

 百鬼丸が、自分の体のパーツを求めて彷徨う旅は、親から満足な自分自身を与えてもらえなかったから、親の代わりに自分自身で自己をつくっていく過程である。物語では“体”となっているが、本来は“心”であるだろう。一般的に、愛情をかけられなかった子供は、基礎となる心の拠り所がないので、自己をつくることが非常に難しい。
 百鬼丸に関しては、育ての親である樹海の存在が大きいと言える。樹海は、木偶人形のようだった赤ん坊の百鬼丸に、生きていくのに必要な体を与えた。さらに、成人するまで育て上げた。樹海は、赤の他人であり、人間とも思えないような赤ん坊に愛情をかけたのだ。子供にとっては、実の親であることは必須条件ではない。実際にかわいがられることの方が重要なのだ。
 しかし、百鬼丸は、出生の秘密を知る。なぜ自分は実の親から、体を魔物に差し出すという酷い仕打ちを受けなければならなかったのか、自分は実の親から愛される存在ではなかったのか、大きな疑問が沸く。

 どろろには、両親に愛情をかけてもらったのだろう。そうでなければ、「親殺しを罪」との考えをもつことはできない。しかし、あまりにも早く、あまりにも突然に両親が殺された=親の愛情を必要とする時期に殺されたため、どろろは女であることをやめてしまった。つまり、親の愛情を十分受け取ることができなかったので、あるがままの自分でいることができないのだ。そして、どろろは親の仇を討つことに執念を燃やす。

 親から健全な愛情をかけられなかった子供は、生きていくのが辛い。しかし、ありのままの自分自信を認め、自分の課題をひとつずつ克服して、充実した生き方を志向しよう。それは、自分がやらなければ、だれもやってくれない。百鬼丸のように、自分を求めて闘え!


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Last updated  September 30, 2007 07:32:12 AM
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