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テーマ:DVD映画鑑賞(14215)
カテゴリ:ヒーロー映画
「ゲゲゲの鬼太郎」のDVDは、いつも“レンタル中”でした。そんなに人気があるのか。そうこうするうちに、第一作が好評だったので、二作目の制作、公開も決定したといいます。ますます見たい。待ちかねて、ようやく1枚返ってきているのを見つけて借りました。
はたして映画版「ゲゲゲの鬼太郎」は、アメコミヒーロー「スパイダーマン」に負けていないか? 通っていた小学校には、図書館に、なぜだか少年マガジン(と少女フレンド=休刊中)が置いてありました。館内を埋め尽くす児童文学や図鑑がある中で、少年マガジンは、子供達に大人気でした。新刊は、いつも誰かが先に持ち出して、楽しそうに読んでいます。それを横目で見ながら、仕方なくボロボロになったバックナンバーを何度も読み返したものです(ビデオレンタルの体験と重なるなあ。そういう人生なんだ。しみじみ)。 小学校の図書館で手に取った少年マガジン、そこに他に類を見ない不思議な味わいのマンガがありました。「墓場の鬼太郎」です。ほかのマンガは忘れてしまっても、「墓場の鬼太郎」の内容は、脳裏に刻み込まれました。「手」「地獄流し」「ゆうれい電車」など、怪奇と恐怖が漂っていて、ぞぉっとしましたね。底知れぬ力を秘めた鬼太郎は、涼しい顔をして、悪いやつや自分を侮辱した者を懲らしめました。例えば、生きながら魑魅魍魎、亡者が蠢く地獄へ送ったりと。「うっかり鬼太郎にさからうと、地獄流しにあうのだ(「地獄流し」より)」。 日本の幽霊が恐いのは“祟る”からではないでしょうか。鬼太郎は幽霊と同じ“祟り”の恐さを感じさせました。 そしてあるとき、タイトルが“墓場”から“ゲゲゲ”へと変わりました。「ゲゲゲの鬼太郎」は、なんとテレビのアニメになりました。鬼太郎は、人に仇なす悪い妖怪を退治するヒーローとして活躍し、人気を集めました。 最初はモノクロだったテレビアニメですが、カラー時代に入ってリメイク、以後、今日に至るまで、何回も新シリーズが登場し、世紀をまたいで現在も放映されているのはご存じの通り。テレビ番組として、実写版の鬼太郎もありました。 正直言って、小学校の図書館で出会ったときには、小学生ながらに、鬼太郎がここまでメジャーになる要素は感じませんでした。あのころは、「鉄腕アトム」が明るく正しいスーパーヒーローとして、国民的大人気を博していました。アトムのアニメも、何度もリメイクされています。けれど、アトムの5回対鬼太郎の7回ということで、鬼太郎の勝ち! 鬼太郎を贔屓しているのではありません。当時、アトムの対抗馬は「鉄人28号」。鬼太郎は、アトムの敵ではなかった(実際は、アトムや鉄人が終了してから鬼太郎が出てきていますが)。何十年も経た後で、こんな結果が出るとは思いもしなかったという話(ちょっとくどい)です。 鬼太郎というキャラクターが登場してから70年、アニメ化から数えても40年が経過した今、初の映画化となったのが本作品です。歴史的背景を考えて、おろそかな作品にしてはいけません。 なのに・・・。 オープニングから鬼太郎が登場するまでは、期待をもたせました。子供達が、自分たちではどうにも解決できない難問題(夜な夜な妖怪に襲われる)に遭遇し、山の中に分け入って妖怪ポストに手紙を投函。子供達を救うために鬼太郎が大活躍、ということであれば、おもしろかったでしょう。 でも、ストーリーの軸が定かではない。 最初、レジャーランド建設のため、住民は強引な立ち退きを迫られます。見ている方は、裏で悪の大妖怪が絡んでいて、やがて鬼太郎と一大バトルを展開するのかと思うじゃないですか。激闘の末、鬼太郎が勝利をおさめ、住民を助ける、という展開かと予想しましたが(先走ってるか?)、レジャーランド建設の話はすぐに立ち消えてしまいます。 さらに、鬼太郎の敵が明確ではありません。 この映画はマンガ原作の「天孤」と「妖怪大裁判」の二本をもとにしています。だからなのか、ストーリーがつぎはぎの印象で、一貫した鬼太郎の敵がいません。鬼太郎と闘う妖怪としては“空孤”が登場しますが、“空孤”は二番手の挑戦者といった風格なのです。お前じゃ鬼太郎の相手に役不足だわい。まるで初期の新日本プロレスの外国人レスラーのようにスター性がない。 この“空孤”の後に、さらに大物が控えていると盛り上がったのに。 大天狗裁判長という尊大な妖怪も出てきますが、こいつとのバトルはない。裁判長席に座っているだけ。 アメコミヒーロー、スパイダーマンは、グリーン・ゴブリン、ドック・オック、サンドマンなどの手強い敵と派手なバトルを繰り広げ、それらを倒しました。同じように、鬼太郎も強大なパワーを誇る妖怪との死闘を見せて欲しかった。これは、ただヴィジュアル的に見応えのあるバトルシーンを望んでいるだけではありません。ストーリーに筋を通し、山場をもたせ、きっちりとけりをつけてほしかったのです。 鬼太郎に与えられた課題としては、人間の家族を救うことや、妖怪石を持ち帰ることがあるのですが、どれも中途半端。問題が解決されてよかったとの思いには至りません。 映像的にも、例えば、一反木綿に乗って空を飛ぶ場面は、ただ空撮に合成してあるだけ。スパイダーマンがビルからビルへ飛び移るときに感じるような、臨場感、ジェットコースター感覚を、観客に味わわせることもできたと思うのですが。 この映画には、テレビで顔が売れている人たちが妖怪となって登場します。観客は、そういった顔ぶれを見て、この映画をバラエティー番組のように楽しんだのでしょうか。それが理由で映画がヒットしたのだとしたら、観客も、そんな甘い映画の見方をしてはいけないのです! それにしても、“天孤”役の小雪は美しかったなぁ。だめなんだよぉ、そういうところで感心しては。 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 9, 2008 06:47:27 AM
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