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テーマ:最近観た映画。(40136)
カテゴリ:アクション
デッドヒートのカーアクション、屋根から屋根に飛び移りガラス屋根を突き破って落下、バイクで停泊中の船から船へと八層跳び、モーターボートによる追跡と激突。そして、建物の窓からバスの屋根に飛び乗るに至っては、ジェームズ・ボンドではなくてジャッキー・チェンじゃありませんか。
いやはや007映画って、こんなにド派手なアクションが多かったっけ? そう思うのは、従来の007映画にあったものがないからです。新兵器、秘密兵器の類が登場しない。毎回リニューアルされていたボンド・カーも姿を見せない。そして、敵の大要塞秘密基地もないばかりか、今回はボンド・ガールとのベッドシーンもなかったぞ。 そういうふうなこれまでの007映画の見せ場がないから、ジェッキー・チェンばりのアクションの釣瓶打ちを前面に押し出したのでしょう。 「慰めの報酬」はつぎのような印象です。コーラが飲みたくなって口をつけたらなんだか味が変。おかしいな、と思ってよく見たらダイエット・タイプだった!ダイエット・タイプは、体にはいいのかもしれないけれど、コーラ本来の味じゃない。 同じように「慰めの報酬」あるいは前作の「カジノ・ロワイヤル」も、007映画のはずなのだけど何か変。リアルなスパイ・アクションを志向し、人間ボンドを描こうとしているのかもしれませんが、007の味がしない。 007は、秘密情報部員です。秘密ってことは、一般の人には知られていません。007なんていう番号で呼ばれていること自体が、いかにも世間から隔絶されている。隠されているから、勝手に夢は膨らませてしまっていいのです。 自由気ままな空想から、殺しの許可証や秘密兵器を搭載したボンド・カー、一目見た瞬間に美女が恋に落ちるモテモテ男であるといった設定が生まれました。その結果、観客は、現実にはありえない007の世界を楽しむことができました。 確かに、ハードなアクションも、現実には見られない映画ならではのものです。しかし、最近の007映画は現実に近い延長線上に位置しています。ボクが見たいのは、現実をできるだけ遠くの可能性にまで引き延ばしてくれる映画です。007映画は、スーパーエージェント、秘密兵器、大要塞、国際陰謀団などの非現実的なギミックに、確かな楽しさを感じさせてくれました。 ボクは、現実からはみだした世界が好きなので、007以外にもプロレスの熱狂的なファンでした。だけど、プロレスは、ショーだとか八百長だとか、とにかく世間からは胡散臭いものとして見られがちです。 大人になってからの話ですが、自分としては正直に「プロレスが好きなんです」と言ってしまったら、会話していた年輩者が飲みかけのコーヒーをプーッと吹き出したことがありました。「プっプロレスですかぁ?」てな具合に。 また、別のときには、つい気を許して「アメリカに行って、本場のプロレスを見たい」と発言したら「何が悲しくてアメリカまでプロレスを見に行かなくちゃ行けないの?」と人を哀れむ目つきで見られました。 自分が心底好きなものでも、世間一般からは価値が低いと見られているのだと分かりました。 そこからアントニオ猪木は「プロレスに市民権を!」と叫びました。プロレス少年だったボクは、「そうだ!」と強く共鳴しました。プロレスの魅力を、多くの人々にもっと理解してほしい。まあ、青かったのですね。 プロレスが一般新聞のスポーツ欄にも掲載されるようになるといい。そのためには、スポーツとしてのプロレスを前面に出さなければなりません。力と技の、いわゆるストロング・スタイルの試合をすれば、世間も認めてくれるだろうと考えました。 しかし、プロレスでエキサイトするのは、クリーンな力と技の攻防だけではありません。例えば、生傷男と呼ばれたディック・ザ・ブルーザーは、リング上だけでなく、場外乱闘に持ち込んで椅子や鉄柱まで使い、ルール無視で徹底的に相手を痛めつけます。文句なしに強い。 対するアントニオ猪木やジャイアント馬場は、ブルーザーの無法ファイトにやられっぱなしでしたが、流血にもじっと耐えて、ついに反撃の糸口をつかむと一気呵成に凶悪レスラーに立ち向かっていきました。その姿にプロレスの醍醐味を感じるのです。 もし、プロレスを完全にスポーツとしたときには、場外乱闘や反則攻撃などが許されるわけがありません。つまり、スポーツライクなプロレスになれば、それまで許容範囲だった枠が狭まり、プロレスの魅力は半減してしまうことになると気付きました。 やっぱりプロレスは、覆面や凶器などのギミックがあってこそおもしろい。リアル・ファイトといわれる総合格闘技より、プロレスの方がずっと奥深い。 最近の007映画は、荒唐無稽、非現実的な内容ではなくなってきました。リアル・フィアトといえるでしょう。しかし、ボンド・カーその他の新兵器や国際陰謀団の要塞秘密基地などのギミックの出てこない007は、独特の魅力がなくなってつまらない。 本編が終了してから、007映画お馴染みの、ジェームズ・ボンドが敵の銃口に向けて撃ち込む定番のシーンが映し出され、つぎにジェームズ・ボンドのテーマが鳴り響きました。そこで、ようやく「これは007映画なのだ」と感じた次第です。 もしこの作風で今後も007映画がつくられるのなら、かつてのジェームズ・ボンドの影響が濃い「0011ナポレオン・ソロ」や「電撃フリント」などに復活してもらいたい。ソロよ、フリントよ、そしてマット・ヘルムも、007がリアルに走っている今こそがチャンスだぞ! 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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