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カテゴリ:ヒーロー映画
映画監督鈴木則文は、以下のように述べている。 ーここから 商業映画には、「期待性」と「意外性」の二つの側面があり、シリーズものは、かつて味わった感動や歓びをもう一度体験したいと思う「期待性」に支えられている映画の典型である。 そしてそれが興行の安定を保証している。 同じでいいのだ。しかし— 何かワンポイントでもいいから前作にない〈メダマ〉は必要である。(鈴木則文著『東映ゲリラ戦記』より) ーここまで ちなみに、鈴木則文監督は、ご自分の監督したシリーズものの一本『女番長ブルース 牝蜂の挑戦(1972)』の場合、そのメダマはヒットシリーズ『不良番長』の主演スター梅宮辰夫のゲスト出演だ、とのこと。 シリーズものの期待性といったとき、東宝の『若大将』シリーズなどは、毎回同じシーンがある。 たとえば、もてもての若大将は、複数の女の子からデートの誘いがかかる。マドンナ役の澄子または節子は偶然その場面に遭遇してしまい傷つく。そこで破局か、と思われるが間もなく誤解が解けて仲直りをする。 あるいは、青大将が澄子または節子を誘い出し、襲いかかる。しかし、必ず若大将が駆けつけて澄子または節子を救出する。 などなど、お約束の場面があるわけだが、観客はそれらを期待して映画館に足を運んだ。 そしてメダマとしては、海外ロケがあったり、若大将が挑戦するスポーツが毎回変わったりというところがあった。 さてさて、『エイジ・オブ・ウルトロン』である。 『アベンジャーズ』における「期待性」のお約束としては、スーパーヒーロー達が、もともと単独の最強ヒーローなのだから、なかなか力を合わせようとしない。しかし、敵があまりにも強大なため、最後は「団結」して闘い、強大な敵を打ち破るといったところか。 そして、「意外性」は、今回は、ホークアイの家族が紹介されたり、ハルクのブルース・バナーとブラック・ウィドウ=ナターシャ・ロマノフとの愛があったりした。 まあしかし、『エイジ・オブ・ウルトロン』は、前作を下回っていると、当方は思う。 なんといっても、敵がスケールダウンしている。 前作では、宇宙からチタウリの軍団が攻めてきて、ほんとにスーパーヒーローが結集しなければならないという切羽詰まった状況があった。 だが、今回のウルトロンは、最強の敵という言葉になんだか実感がともなわない。 アベンジャーズは、戦隊ヒーローとはちがうわけだ。 戦隊ヒーローは、最初からチームで闘うヒーローだ。 しかし、アベンジャーズは、もともとは単独で強大な敵と戦うのが基本である。 それが集まって闘うとなると、それはスペシャルなわけで、相手はとんでもなく強大でなければそれに見合わない。 前作のチタウリは、画面からもスーパーヒーローがほとほと手を焼いているのがよくわかった。 さらに、ワームホールを塞がなければ、チタウリ軍団はさらにさらに増えて増強するという危機感もあった。 それにくらべると、今回は、べつにスーパーヒーローが結集しなくても、単独でやっつけてほしい相手だった。 『アイアンマン3』の「テン・リングス」エクストリミスだって十分強敵だったぞ。 ということで、「期待性」に応えるには弱い。 そして「意外性」という点について。スーパーヒーローの私生活紹介や恋愛が、今後お約束になっていくのか。 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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