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あの頃映画 松竹DVDコレクション 宇宙大怪獣ギララ [ 原田糸子 ] 7月22日 東宝映画『キング・コングの逆襲』公開 12月16日 東宝映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』公開 1967年のラインナップ。 過去にはこういう年もあったのだよ。 怪獣ブームの真っ只中だ。 特撮怪獣映画の本家東宝のエース怪獣は、恐竜型のゴジラ。 対抗する大映は、空飛ぶ大亀ガメラ。 東宝も大映も、ゴジラ、ガメラともにシリーズ化して実績をつくっている。 そこへ新規参入する松竹は、「宇宙大怪獣」ギララをもってきた。 追随する立場の松竹としては、なんとか自社製品に注目を集めなければならない。 そのために、とった手段のひとつが、主演怪獣の名前の公募だった。 当時小学生だった当方は、マンガ雑誌の広告を見て、さっそく名前を考えた。 「スペース・キング」 宇宙怪獣というイメージを最大限に生かしたわけだ。 応募する前、親戚のおじさんに、「新しい怪獣の名前、これでどうだろう」と聞いてみた。 そうしたらおじさんは、「スペース・キングって、どういう意味?」と聞き返してきた。 「宇宙の王様、という意味なんだ」と答えたら、「いいじゃないか!採用されるぞ」と絶賛。 それに気をよくして葉書に書き込もうとしたら、父親が「ゴジラ、モスラ、ガメラと、怪獣の名前はみんな最後が「ラ」になっているぞ。「ラ」がつくように考えたほうが当選する」と一気に水をさすようなことを言った。 しかし、従来の「ラ」ではなく、それまでの怪獣にない「スペース・キング」に自画自賛状態だったので、そのまま応募した。 結果、決まったのは「ギララ」。 「ラ」だった。 ゴリラとクジラをたして2で割ったといわれる「ゴジラ」、カメ怪獣のガメラなどは、ネーミングの根拠が理解しやすい。「ギララ」は、きららか(きらきらしてうつくしい)という言葉と似てるし、怪獣らしい「ラ」で終わる名前だが、「ギ」となっているために不気味感がある。3文字の中に「ラ」が2回続けて出てくることもあって、ユニークで印象深い名前だ。宇宙怪獣らしくて、やっぱ、スペース・キングよりいいわ。 『宇宙大怪獣ギララ』は、とにかく「宇宙」を売り物にして他社の怪獣との差異を図った。 この時点では、すでに東宝が『宇宙大怪獣ドゴラ(1964)』や『三大怪獣 地球最大の決戦(1964)』で宇宙怪獣キング・ギドラを登場させている(そう、「スペース・キング」は、キング・ギドラのもじりであり流用だったのだ)。 しかしながら、ドゴラもキング・ギドラも、宇宙怪獣であるやつらのほうから地球にやってきたのだった。つまり、おもな舞台は地球となっていた。 ところが、『宇宙大怪獣ギララ』の前半は、宇宙空間に飛び出して展開される。 そこに登場するのが、「宇宙船AABガンマー号」だ。AABとは「Atomic Astro Boat」のことで、通称アストロ・ボートと呼んでいた。 当方は、公開当時、アストロ・ボートのプラモデルを買って、マブチ水中モーターを装着して風呂で遊んだ。 このアストロ・ボートは、東宝特撮の宇宙船とは異なる魅力があった。 船体のデザインも去ることながら、船内、コックピットがちがった。 東宝の宇宙船はロケット型だった。『宇宙大戦争(1959)』のスピップ号や『妖星ゴラス(1962)』の隼号は縦長で、旅客機や観光バスのような縦並びの座席になっている。そして、潜水艦の内部ように操作機器等が配置されていた。 それに対してアストロ・ボートの操縦席は、横並びなのだ。もうちょっと付け加えると、フロントガラス方向を外側として弧を描くように4人の乗組員の座席がある。椅子が回転式となっていて、内側を向いて対面で話をすることもできる。乗組員の背後にはそれだけの空間があった。 当方、弟と子供部屋で宇宙船ごっこをするときには、このアストロ・ボートの操縦室をイメージした。兄弟の勉強机が横並びで、回転椅子だったからだ。もうひとつ、宇宙船ごっこに都合がよかったのが、SFテレビドラマ『宇宙家族ロビンソン(1965〜1968)』のジュピター2号(円盤形宇宙船)だった。 縦長のロケットは、遊びにくい。 さて、アストロ・ボートは、富士宇宙センターから火星をめざして飛び立つが、謎の飛行物体の襲撃を受け、同時に乗組員が体調不良となり、とりあえず月基地に緊急着陸する。 この月面基地については、日本特撮映画史上初めてスクリーンに登場したのではないか。 東宝では『怪獣総進撃(1968)』で、やはり縦並びの操縦席のムーンライトSY−3号が地球と月基地とを行き来する。それよりギララの月基地は1年早かったわけだ。 そして、ギララの月基地には、仮面ライダー1号=本郷猛こと、若き日の藤岡弘が顔を見せる。こちらも特撮作品初登場だ。 そして、ギララについて。 体型としては、恐竜型に分類できる。 だが、その頭部は、いかにも斬新である。 頭部だけ外したならば、謎の飛行物体にも見える。 あるいはアンテナのような触角を備え、ロボットにも見える。 地球の生命体とは異なる印象で、じつに宇宙怪獣にふさわしいデザインだ。 このギララ、飛行能力もある。 赤い火球となって飛んで移動することができるのだ。 怪獣の元祖ゴジラには、飛行能力はなかった。 しかし、後続のガメラはジェット噴射で飛ぶことができた。 このガメラの飛行能力は、他の怪獣に与えた影響が大きかったようだ。 ギララに続く日活の『大巨獣ガッパ(1967)』も、背中に生えた羽で大空を行く。 怪獣は、口から火や光線、エネルギー波などを吐くが、同じように飛行能力も必須のものとなったかに見える。 4社の看板怪獣のうち、3体までが飛べるとなると、飛べないゴジラは少数派になってしまった。だからなのか、ついにあのゴジラまでが、『ゴジラ対ヘドラ(1971)』では、飛行体で逃げるヘドラを追いかけて、低い位置ながら空中を行く姿を見せたのだった。 特撮怪獣映画の見せ場といえば、都市破壊のシーンだ。 建物のミニチュアなどは、テレビ特撮のクオリティかと見えないこともないが、でも、ビルを破壊し、高速道路を破壊し、港湾地区のクレーンを破壊しと、なかなかがんばっている。 自衛隊とのバトル・シーンも定番通りあって、光線兵器も出てくる。当時は、ロッキードF104が主力戦闘機で、ガメラ・シリーズやガッパ、そしてギララでもスクリーンにその勇姿を見せる。F104は、銀色のシャープなデザインなのだが、なぜかゴジラ・シリーズでは見かけない。だから、ギララとの対決はなお嬉しい。 この年、ゴジラ映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』では、都市破壊のシーンも自衛隊との攻防シーンもまるでない。映画は、無人島であるゾルゲル島を舞台にしているからだ。前年の『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘(1966)』も、レッチ島を舞台にしていたから同様だった。 そんなふうに東宝怪獣特撮映画が、方向転換を示していたので、新規参入の映画会社が、約束通りの映画を見せてくれると安心感を覚えた。 じつはこのころ、映画全体の斜陽化が進んでいた。同じような時期につくられた『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ(1966)』や『キングコングの逆襲』では、都市破壊などがあった。その一方で、ゴジラ・シリーズが南海の孤島で、都市のミニチュア・セットや自衛隊登場シーンをカットしたわけだ。これは、ネームバリューと実績のあったゴジラ・シリーズでは、予算を削ったのではないか。 そんな中で、『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』も『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』も、観客動員数などのワースト記録を更新していく。やがて、ゴジラ・シリーズの『怪獣総進撃(1968)』では、特撮怪獣映画の打ち切り案が出るに至った。 第一次怪獣ブームの終焉である。 『宇宙大怪獣ギララ』も『大巨獣ガッパ』も。怪獣ブームの真っ只中につくられたとはいえ、続編は立ち消えになり、ともに松竹唯一の怪獣映画と日活唯一の怪獣映画となってしまった。 しかし、ギララは、40年の時を経て、突如『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一発(2008)』で蘇る。とはいっても、この映画は松竹の制作ではない。だから、ギララ映画は2本あっても、松竹としては『宇宙大怪獣ギララ』が一本きりの怪獣映画なのだ。
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