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れおにゃん

れおにゃん

2013年10月04日
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カテゴリ:雑談

 

去年の3月、遠く離れた母が危険な状態になり、先生から突然電話がかかってきて

「手術中心臓が止まったら気管切開をするか?

一度つけたらとることは出来ない。今すぐ決めて下さい。」

と即答を求められました。

母の気持ちになって考えると、気管切開しないということしか思い浮かばなかった。

そう答えたものの、いやでも~それでいいのか??

何度も何度も、自問自答し。。。。

私の気持ちは揺れ動いた。

この日は寝られず、電話を待って過ごしました。

 

この時幸いにも無事手術を終え、元気に過ごしていますが・・・・

突然こんなことを言われたら、頭は真っ白になって

パニック状態になり、理性的に判断出来なくなります。

こんな時のために、まえもって考えとかなきゃと思いますが

その時になってみないと無理なものですね。

当たり前でしょうが。。。

 

こんなことがあったので、この記事に共感し

この親子の間には、とても素敵な時間を過ごしてきたんだろうな

自分の気持ちはさておき、お母さんのことを一番に考えてあげられる娘さん

なんて素晴らしいんだろうと。。。

理想と現実の難しさを経験しました。

 

 

「スタイルアサヒ」という冊子の記事から・・・

下記のような物語が載っていました。

 


無床診療所での看取りが教えてくれた大切なもの

 

「入院しませんか」、ぼくの問いかけに94歳は、首を横に振った。

 熱が下がらない、その熱の原因がもう一つはっきりしない。

介護する娘も、入院には反対した。

ぼくの診療所には入院の設備がない。

 

「ここで出来ることをして下さい。最後は私が世話をすると決めています」と言う。

毎日の抗生剤の点滴が続いた。

検査の結果も少しずつよくなり、笑顔も見られだした。

一段落して、二週間過ぎた夜だった。

 

僕の携帯が鳴った。

「39度の熱が出ています。今から連れて行ってもいいですか」、あわてた娘の声だった。

僕はちょうど診療を終えて、最後の患者さんと面談をしていた。

看護師はもう帰っていた。

「どうぞ」と、軽く答えた。

 

ほどなく、車いすに斜めに座った患者さんが家族と来た。

雰囲気がいつもと違う。昼もきちんと食事をしてからの、急な変化だったという。

まず、解熱剤を飲んでもらった。ここまでは、意識もあった。

呼吸が荒い、しゃくりあげるような激しさだった。

点滴を始めた。

 

そして家族に言った。

「救急車で県立病院に行きますか。それともここで出来ることをして、家に帰りますか」。

娘と娘婿の意見が違った。

「前の時も病院をあんなに嫌がっていたから、先生に診てもらいたい」と娘。

「そんなに悪いんだったら、病院へ行こう」が娘婿。

 

ぼくは、患者さんの命に出来ることをしよう、家族の気持ちのままにと決めていた。

時刻は午後7時半を回っていた。

点滴室での処置をしつつ話が続いた。

娘の意見が通った。「ここで先生に診てもらったら、それが母には一番いい」、

そう言った。

 

「いのちがかかりますが、いいですか」と、念を押した。

目の前の患者さんの呼吸が浅くなってきた。駆けつけた家族が

「楽になったみたい」と言う。

孫やひ孫がたくさん集まってきた。

 

この段階で、ぼくは診療所での最期を覚悟した。

娘もそんな言葉を口にした。

無床診療所の点滴室が、看取りの部屋になった。紛れ込んだ季節はずれの蚊が

ベッドの周りを飛ぶ。孫が」その蚊をパンパンと手で追う。昼間と違う、

何か変な光景だった。

94歳の最期を静かに看取った。

 

救急車を呼んでいたら、車内で呼吸停止だったろう。気管内挿管して病院に着いたら、

人口呼吸器だったかもしれない。「病院で管につながれるのを母は嫌がっていた。

最期はこれがよかった」。

母を想う、母に似た娘のきっぱりとした言葉が印象的だった。

 

嵐のような一時間だった。たった一時間が長かった。生き方と同じように、死に方も

希望すればかなえられる、そう感じた夜だった。

 (小笠原 望 先生)

 








 






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最終更新日  2013年10月05日 17時53分33秒
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