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今日は新潟と小倉で重賞があったけど、
2レースとも2歳戦だったので勉強不足のため手を出さず。 結果を見てからなら何とでも言えるが、 小倉の「シゲルキョクチョウ」は買っときゃ良かったね。 惜しい事をした。 ★ショック 昨日に続いて、今日も涙がこぼれた。 富沢祥也選手の死亡。 CSの生中継で見てたサンマリノGP。 事故の瞬間は画面を見ていなかったが、実況・解説陣の叫び声からは画面に釘付けだった。 解説者によると、コースの中でも高速な箇所で220~230km/h程出てる所で転倒、さらに直後にいた2台に轢かれたとの事。 リプレイで見た事故シーンは、正直細かい所まではオレの眼では捉えられなかったけど、 力なく滑走するライダーと、その滑走が止まっても立ち上がるどころか、 痛さ等にもがく様子さえなかった事が事故の重大さを物語ってた。 その日の最後のレース後「悲しいお知らせをしなければ…」のアナウンスに全身の力が抜けて涙がこみ上げた。 本当に残念。 当然面識など無いが、2006年の全日本岡山戦で走りは見た事があった。 当時は1コ下の中上貴晶が頭ひとつ抜けてて、常に二番手って印象だった。 で、2007年は中上は世界に行き、富沢の時代か?だったけどベテラン勢に今一歩。でも若手では光ってた。 2009年から世界GP250へ挑戦し、最高位10位で年間ランク17位。 ただ去年まであったWGP250クラスは、メーカー直系のワークスチームもあり、マシン差の激しい中で非力なマシンでの健闘。 で今年250に代わり新設されたmoto2(600cc)クラスに継続参戦。 moto2では全車ホンダの公式エンジン使用で、フレームの違いこそあれ今までより数段マシン差は無くなった。 そしたら開幕戦のカタールでいきなり優勝。初表彰台が優勝というセンセーショナルな形で、一躍世界に名を馳せた。 中上が結果を出せずに国内に戻った今、まさに富沢の時代が来た矢先のアクシデント。 今年、世界で戦ってる日本人レギュラーライダー4人の中で最年少の19歳、まさに次世代のエース最右翼だった。 本当に残念。 そして、多分、日本より外国の方が知名度は高いんだよね…。 これも残念。 レーサーがアスリートとして認識されにくい日本では、世界選手権で優勝しようが一般の人達の目や耳には届きにくいけど、 死んだらテレビのニュースでも扱う。 海外で予選落ちでもニュースになるゴルフが、少し羨ましい…。 まあ、本人はそんな事を思ってなかっただろうけど、モータースポーツファンとしては少し悔しい…。 そんな気もあり、長々と彼について自分が知ってる事を書いてみた。 オレは忘れないから備忘録にもならないが。 来月の日本GPで、彼のゼッケン『48』にちなんでAKB48の板野という子が彼のグリッドガールをする事になり、 照れながらも楽しみにしてる様子だったインタビュー記事が悲しすぎる…。 富沢祥也 享年19歳 心よりご冥福をお祈りします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/09/06 08:49:40 PM
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