カテゴリ:個人日記
まだ見えないキツネと交流が活発なはるか昔の出来事なのですが、 当時の椿はイチゴ大福やらフルーツ大福やらが好きでよく買っていたのですが、 その店に行くといつも一匹の見えないキツネがおりました。 招き猫ならぬ招きキツネって感じでしょうか? ただただ静かに置物のように座っていました。 見えるけれども話す事もなく話しかけられることもないので、 椿からしたら本当に置物として見ていました。 ただ普通に獣臭はしていましたね。 普通の猫や犬レベルではありますが、その匂いがあるので置物じゃないんだって分かる感じです。 そんなある日、そのキツネに「後悔は大福」と、突然言われたのです。 えっ後悔は大福???なんの話?ですよね。。 そこから椿の大福ブームは終焉を迎えて買いに行く事も無くなったのですが、 意味も分からず誰に言うでもなく20年近くの時を経て、 牡丹さんが言いました。 「夢を見たよ。後悔は大福だって誰かに言われる夢だよ」って。 牡丹さんは続けて言います。 「本当に後悔は大きな福となるのだろうね。大丈夫だ大丈夫だって生きて、 ありのままを見る事もせず妄想の世界に住んでいたら後悔は出来ない。 後悔するってありのまま(真実)を見たって事だよね。 後悔せずに大福が来ることは無いのだね」って。 まさにその通りですね。 後悔は大福と言われた時の椿は30代の前半だったかな? 本当に意味が分かりませんでした。 正直、牡丹さんに言われるまで気にしたこともありませんでした。 椿は30代までは去年より今年が今年より来年が幸せって本気で思っていました。 底辺の人生でありながらも年々良くなっていると真剣に思ってました。 過去に戻りたいとは全く思いもしませんでした。 何故ならいつも今が最高だと思っていたからです。 でも、40代に入ってからは去年より今年が辛いって年々辛くなっていきました。 これ以上落ちる事ある?ってくらい悪くなっていく感じ。 特別、何があるわけではないのですが、でも悪いのですよね。 今となって冷静に、何の違いかな?って思うと、いわゆるありのままを見始めていたからです。 ありのままを見続けていく事によって年々悪くなっていったのです。 真実は後悔を生みますからね。 後悔が深くなればなるほど海の底へと落ちていって息が出来ないくらいに苦しくなります。 先日、岐阜羽島のおちょぼ稲荷に参拝に行きました。 そこでおみくじを引いたら大凶。 でもね、何故だかホッとしたのです。 涙が流れ落ちて、心の底からホッとしたの。 あぁぁぁ行くとこまでいったなって。 長かったなって泣けてきて。 行きついたなって思ったのです。 実際にはもうすぐって事なのでしょうが、 それでもホッとしたの。 今思えば後悔せずに生きていた時、 それはそれで頑張ってきました。誰の事も憎まずに今よりも間違いなくいい子でした。(笑) 清廉潔白じゃないけれど、どれだけ意地悪されても心の底から許してきました。 どんな事をされても我ながら驚くくらい許してました。 感謝はしても憎まない。 誰も憎まず誰かのために何でもする生き方をしていました。 自分を殺す事が人生の素晴らしさだと思っていました。 誰もが素敵な人だと思ってもいました。 人の良い面ばかり見ていました。 なぜ人が意地悪をするのかも分かりませんでした。 やられっぱなしの人生です。 苦しいし辛いことだらけ。 それでも何一つの後悔もしていませんでした。 それが良い生き方だと思っていたのです。 本物のバカだと思います。 でもね、真実を見ないで人を許す事など出来ません。 真実見てからが始まりなのです。 真実を見ても許せるのか?愛せるのか?です。 自分の事も他人の事もです。 そんな戦いが40代になってから始まったのです。 出産と同時です。 本当にかなり辛かったです。 もちろん完成したとは言いません。 でもね。 少しだけ「後悔は大福」に行きついたような気がするのです。 人生は本当に過酷だなって思います。 椿♪ 追伸 真実を見るまで良い子だったと書いておりますが、 なに一つも悪い事をしていないわけではありませんからね。 人並ですね(笑) にほんブログ村 精神世界ランキング ☆お問い合わせはこちらまで earthone2014@yahoo.co.jp お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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