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先週の金曜日から入院して、昨日、退院しました。
前(6年前くらい)入院した時は入院が辛く早く帰りたいと思っていたけど、今回はなんだか快適でした。 食事は毎回運ばれてくるし、ベッドの上でゴロゴロすることが仕事みたいなものだから、同室の人に迷惑をかけない程度に好き勝手できるからです。 食事については、前入院した頃には食べれないものばかりでしたが、少しは大人になったのか、色々とおいしいなぁと思いながら食べていました。 家ではワンパターンな食事が多いし、姪がいるから結構適当な食事が多いため、病院の食事が様々な味・バリエーションだなぁっと感じました。 しかも、家にいるときよりストレスが少なくて、私はずっと入院していたいとも思っていました(笑)! 月曜日に手術だったのですが、さすがに日曜日の夜は少し緊張して消灯時間に眠れませんでした。 タバコを吸いに行ったりして(←結局入院してもやめられませんでした・・・)、数人にメールして(←励ましてもらおう、同情してもらおうという気満々のメールです。)返事をもらい(絶対にこの人はこういう返事をしてくれるだろうなぁと計算しながらメールを送り、どうせ励ましてくれないような友達は避け・・・)予想通りの返事に喜び、ちょっと違うんだけどなぁという返事に落胆し、結局は『私は手術を受ける側であって、私が手術をするわけじゃないから緊張しなくて良いのだ』という結論に達し、落ち着いて爆睡しました。 月曜日は朝6時までしか水分をとってはいけないという約束だったので5時30分に起きてたくさん水分をとりました。 オレンジジュースを飲み、コーヒーと牛乳を飲み、最後にお水を飲みました。手術まで喉がかわかないだろうと思うくらい、たくさん飲みました。 その後はまだ眠くて、午前中はうとうとしていました。 どうせ、ご飯もお水も飲めないしなぁという感じで、うとうとしてたけど、自分が日曜日の夜に色々な人に送ったメールの返事が次の日にかなり帰ってきて、なかなかうとうともできない状態になり、自業自得だと思いました。 手術は全身麻酔です。なので、病室で色々と検査して筋肉注射を打たれました。 母親はまだ来てなくて看護婦さんはイライラして自宅へ電話をしに行きました。私は、別にいなくてもどっちでもいいじゃんと思っていたけど、病院として建前上、いないと困るんだろうなぁと考えました。 注射をすると体がふわふわするよって言われましたが、私は全然ふらふらしませんでした。以前、睡眠薬などを飲んでいた時が1年以上あったので、たぶんこんだけんじゃあ脳に伝わらないんだと考えました。 母親が来て、手術室へ向かいました。同室の人に「がんばってねぇ、いってらっしゃい!」と送り出され、私は元気よく「行ってきまーす!!」と運ばれました。 手術室に入って、テレビで見るようなライトが天井についてました。私は「あーテレビっぽいなぁ」と思って眺めていました。 すぐにたくさんの人が来て、ベッドの移動をしました。 「1,2,3」で私はたぶん手術室のベッドに移りました。 それから、水色の服を着た女性や男性の姿を目にしながら、酸素みたいなものをあてて、女性のかわいい人に「深呼吸してね~」と言われました。たぶん、これが意識を失う麻酔みたいなものだったと思うのですが、私になかなか効かないから、何度も女性のかわいい人が私の視界に入るように顔を近づけて「深呼吸してね~」と言いました。私は深呼吸しても全然眠たくならないし、むしろ手術室の様子が気になって目をきょろきょろさせていたら、今度はかわいい女性の人が手を握ってくれて「深呼吸しようね~」と何度も笑顔で私の視界に入るくらい近い距離からずっと微笑み続けてくれました。 私はそこで安心したのか5分後位に意識がなくなりました。 気がついたら終わっていてまだ手術室にいました。 同時に他の部屋で他の人もやっていたみたいで、男性が運ばれていくところを横目で見ました。 気がついたら痰がつまって苦しいので、一生懸命「痰がからんどって苦しいからとって!」と言っていました。それから「鼻が出るみたいだけど、鼻水出ないよぉ」とか「今、何時?」とか言っていました。 そして肝心の喉はあんまり痛くなくて、かゆい感じでした。 自分でも驚くくらい、意識が回復してからしゃべっていたり、見ていたり、聞いていたりしました。 病室に戻ってから、酸素をさせられていたのだけど、痰が苦しくて、でも咳をするのが怖いし痛そうだし実際痛いからできなくて、 呼吸が苦しくて「痰をとってぇ」と言っていました。 それから、母親に頼んでおいた荷物を頭のほうに置いてくれだの、ティッシュとビニール袋を柵につけてくれだの、キティちゃんのビニール袋に靴下があるからはかせてくれだの、同室でもうすぐ手術室に行く21歳の女の子に喉はあんまり痛くないから大丈夫だったよと伝えてくれだの、たくさんたくさんしゃべっていました。 まだ、絶対安静の時なのに、頭はぐるぐる回るんですねぇ! 本当に自分のせっかちさ・神経質さには驚かされました。 3時まで絶対安静だったけど、おしっこがしたくなって起き上がろうとして怒られました。 喉は手術したばっかで、しゃべりづらいし、声も変だし、しゃべり方も変なのに、よくしゃべっていたなぁと思います。 手術まではよかったのですが・・・・・ 手術が終わってから、だんだんと喉の痛みが増し、熱が上がり、頭痛にやられ、大変でした。 それが、だんだんとひどくなるのです。 次の日は、ご飯はおかゆですが、まぁまぁ食べれていました。 熱は37度6部くらいで、同室の同じ日に手術した子より高い熱でした。 その次の日は、喉が痛くてあまり食べられませんでした。 熱は39度近く上がりました。 喉や頭が痛い中、熱が体中を蝕んでいくような感覚になり、私は痛みとだるさと暑さ・寒さに耐えるしかありませんでした。 なんだかとっても辛くなってしまって、声を出さずに泣いてしまいました。 寂しいなぁ、辛いなぁ。そう思って、ただ耐えるしかない事が悲しかったです。 その次の日は、もっと喉が痛くて、全然食べられませんでした。 でも、明日退院と言われ、なんだか不安になり、医師への信頼感がなくなってしまいました。 熱のことを言っても頭痛の事を言っても、なんだか動じずって感じだし、全然私の話を聞いてくれないし、また、出された薬が全然効かなくて頭痛なんかはもう頭が割れるかと思うくらい毎日痛かったのです。 それに、退院して家に帰っても私には姪がいるし、食事も洗濯も事情があって今は私はしないといけない状態になっています。 先のことを考えると不安で心配で、とってもブルーになってしまいました。 それとは別に、ごく親しい友達で家が近い友達とかにはお見舞いに来てもらっていました。すごくありがたかったし、励みになりました。家族が今、なかなか機能していないので、その事も友達が心配してくれて、色々と案を考えてくれて、やれることは友達がやってくれました。本当に友達がいてよかった★そう心から思いました。 普通は家族がいてよかった☆になるはずなんだけどなぁ。。。 今はまだ若いし友達も独身がいるけど、そのうちみんなが結婚して私一人になったら、家族の代わりをしてくれる人がいなくなって、本当に寂しくなるなぁと思って未来に絶望してしまいました。 やっぱり彼氏ほしいなぁ!つくづく思いました。 昔、結婚なんかしない!一人で生きてやるって思ってたけど、実際に一人で生きるのは難しいかもしれません。家族がきちんと家族してればまだいいけども、兄弟や姉妹がたくさんいてみんなに余裕があればいいけども・・・・・ やっぱり私の家で、一人で生きるのは難しい!そう実感したし、よくわかったのです。 もう少し将来の計画を変えていかなきゃなぁ・・・・・計画なんて所詮は計画だけど、結婚も考慮にいれて色々考えていかなきゃなぁって泣きながら思いました。 今は退院して、熱はまだあるけど、37度台におさまっています。 頭痛も喉も痛いけど、がんばっています。 こんなに痛いんだぁって思うと、もう二度と手術なんかしないぞぉ!と思った今日この頃でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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