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Atletico Tokyo~アトレチコ東京~

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2006.06.16
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カテゴリ:W杯2006

ロバノフスキー。ウクライナ一のクラブ、ディナモ・キエフをソ連時代から30年近く率いた、ウクライナを人生の最後まで率いた名将中の名将。元々心臓が悪かったところなど、オシムと近い面がある。

今では信じられない話だが、長く「ウクライナ代表=ディナモ・キエフのメンバー」という状態が続いていた。ウクライナ代表ではW杯に優勝したばかりのフランスを(内容で)圧倒し、ディナモ・キエフではあのレアル・マドリードを破ってチャンピオンズ・リーグでベスト4に食い込んだ。その根幹はロバノフスキーの、それまでにない徹底的なデータ分析を元にし、組織を磨ききった美しいカウンターサッカーで、そのエースこそがシェフチェンコであった。実はロバノフスキーは、NBAの良さを学び取り、世界で初めて「スポーツ科学」と「サッカー」を結びつけた人物だ。

99年。シェフチェンコはこの活躍を認められ、ミランへ移籍する。今思えばこの輝かしい移籍こそがウクライナサッカーの大きな打撃のきっかけとなってしまったのでは、と思う。パートナーのレブロフも、そして新たに出てきた才能も続々と海外に移籍する。代表=クラブという、世界で最も合理的な代表強化を誇ったウクライナは、この海外流出によってその強さの源を失った。01年にロバノフスキーが逝去し、ウクライナサッカーの歴史は新たな章に突入する。それぞれの個の力は以前よりも増しているが、伝統の戦術の浸透度は落ちてしまった気がする。でも、そこを世界最高のストライカーに破って欲しいという願望は当然ある。


ウクライナは98年、02年のW杯、00年のEUROで全て最後の予選プレーオフで敗退している。スペイン戦の無残な内容を見て、あのときに1度でも出られていたら…と今さらでも嘆いてしまった。それでも今はチュニジアとサウジというグループにいる。まだいくらでも立て直せる。この優遇は、あの世にいる「父親」からの贈り物なのだと思おう。






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Last updated  2006.06.16 11:58:01
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